top of page

言ってみたいけど言えない言葉

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2025年2月15日
  • 読了時間: 4分

更新日:2025年2月16日

「最初は全然、映画監督とかやるつもりなくて…」という言葉を一度でいいから言ってみたい。というか、言ってみたかった。そういう人生に憧れる。もう言えない。大学でも映画づくりをしていて、脱サラしてまで大学院で映画づくりを勉強した。ガッツリ映画監督になりたい人用にあつらえられた道を進んでおきながら、いまさら「映画監督とかやるつもりなくて…」なんてのたまった日にはブン殴られるに違いない。過去の自分から。「お前はずっと映画監督になりたかったんじゃないか!何をカッコつけてるんだ!嘘つきめ!」と首根っこをつかまれてボコボコにされるだろう。


 ただ憧れるんだよなぁ〜この天才感。才能の塊感。やっぱり人から良い評価をもらいたいものじゃない。にんげんだもの。羨望の眼差しで見られたいじゃない。嫉妬の対象にされたいじゃない。そんなのくだらねぇっていうブログを書いたばかりの私がいうのもなんだけど、心のどこかではさ。そう思わないかしら。

 「最初僕はスタッフとして参加していただけなんですよね。音声さん?っていうんですかね。で、参加していて、そしたら監督の子が撮影直前にインフルになっちゃって、けど解散させるのはもったいないよねってことで、急遽監督してくれってなったんですよ。そして完成したらたらたまたま映画祭に拾ってもらえて…」とか言ってみたいじゃない。「だから本当にみんなに感謝してるんですよ」とか言ってみたい。そんな気持ちはあるけど目の前にこんなこと言うヤツがいたら絶対に友達にはならないだろう。ムカつくし。こっそりあとで「映画の場合は『音声さん』じゃなくて『録音部』だよ」と言いながらそっと関係を終わらせるだろう。


 やっぱり「自分は人に言われるがまま受動的に動いてきただけなのに、気づいたらいいポジションにいたんですよね感」というのが羨ましポイント高めだ。

 よくオーディション番組で、どうして応募しようと思ったのか聞かれて「お姉ちゃんが勝手に応募していた」というのがあるが、嘘八百に違いない。グランプリに選ばれたときに言う「まさか自分が選ばれるなんておもわなくて」と言う常套句は絶対に思っている。もし本当に思っていないのなら、本気で目指してきている人たちが周りにいるのだからあまりにも失礼じゃないか、と誰か注意するべきだ。ただ自分からなりたいと思っていたわけではないんだよというところに謙虚さをアピールしたのだろうし、欲深さを軽減させたいという気持ちもあろう。そこまで裏事情をわかっていつつも、羨ましさを感じてしまう自分の卑しさがイヤらしい。そんな人生を歩んでみたかった自分もどこかにいるのだし、人から嫉妬されてみたいと心のどこかで思っているのだ。

 そういえばお姉ちゃんが勝手にオーディション番組に応募していたにもかかわらず、橋にも棒にも引っかからずに落選したという人には出会ったことがない。受賞者にこんなにたくさんの”おせっかいなお姉ちゃん”がいるのだから、審美眼が間違っている”ただおせっかいなだけだったお姉ちゃん”というのも世界のどこかに絶対にいるはずだ。僕はこういう理由で落選した人とは是非会ってみたいし、その過去を明るく話している人の人間性を心から尊敬する。本当に友達になりたい。僕も映画祭への落選回数ではそんじょそこらの人には負けないので、一緒に話せることはたくさんある。一緒にくだらない話をしたい。


 多分誰しもが受動的に動いていった末に、皆が羨ましがるポジションに気付いたらおさまっていたいと思っている…でしょう?学生時代ファッションビルの喫茶店でバイトをしていた。そのときお客さんが喫茶店にいる自分を写真に撮るのだけど、なんで笑顔で撮らないのか不思議だった。新しいアイテムを早速身につけて写真を撮るのに、全然笑顔で撮ろうとしない。友達同士で写真を撮るときも、笑顔で映ろうとしない。皆ちょっと俯きがちで、なんなら少しつまらなそうな顔をして映る。一応ピースをしているけれど嬉しそうにしない。自分でいいと思っているものを買ったのだから嬉しそうに写ればいいじゃないか!楽しい時間なんだから笑顔で写ればいいじゃないか!とずっと思っていた。多分これも「全然撮られたくないんですけど」という受け身な態度を出したかったのかと今はわかっている。僕はこういうときに、できうる限りの笑顔で映ることに決めている。これは”アンチ「全然撮られたくないんですけど感」”として。より面倒くさいヤツとして上回りたいと思っているから。

 ただそういう態度でいると、不思議と人からカメラを向けられることもなくなってくるもので、僕が映っているスナップ写真はおそろしく少ない。ひょっとしたら擬似的にでも受け身な態度をとっていた方が人から人気が出るのだろうか。

 …一瞬そんなことを考えたけれど、やはり「最初は全然、映画監督とかやるつもりなくて…」などとのたまうつもりには全然ならない。このエッセイを読んでくださっている方には、僕がもし「映画監督はしょうがないからやっているんですよ感」を出したら、過去の僕になりかわってぶん殴れる権利をあげます。

最新記事

すべて表示
エッセイを書いた2025年

何を思ったのか2025年はエッセイを書いてみようと思い立ち、1年間ここで書いてみた。書いてみてわかったのだけど、僕の場合は自虐にはしらない限り、かなり高い確率で求められてもいない自慢や自分語りになってしまうということだ。恥ずかしいことだけど、油断するとすぐに自分語りをしてしまう。かなりの分量を書いてみて、読み返してみて恥ずかしくなって全部削除した文章がたくさんある。  おいおいどこの巨匠が書いてい

 
 
 
カラオケが苦手である

カラオケが苦手である。音痴だから恥をかきたくないということもあるが、それよりなによりカラオケという場にうずまく政治が苦手だ。  誰と一緒にいるか、どんな世代なのか、何人いるのか、盛り上がった方がいいのか、逆に下手に盛り上がらない方がいいのか、この曲を入れたら狙いすぎだろうか、しかし知らない曲を入れてもしょうがなく、世代的に一番若いから最近の若者っぽい曲がいいのか、合いの手は入れるか、サビが終わった

 
 
 
今夏の思い出

今夏、長野県の木曽で滞在した中で最も思い出深いのはmicciさんとの出会いだった。micciさんは木曽の山中で旅館を経営している一児の母である。息子のnaggieは10歳の少年。naggieはわんぱくで、虫が好きで、虫が嫌いな僕にたくさんのアブがとまっている掌を見せてくれる。「ねえママ!」と度々micciさんを呼んで一緒に遊んでほしいとせびる。  10歳くらいの子供はすごい。仕事柄子供達と一緒に映

 
 
 

コメント


© 2020 Sota Takahashi

​st

bottom of page