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だれかでいいや。

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 1月4日
  • 読了時間: 3分

更新日:1月5日

 2020年の頭だったか、その前年の暮れだったか、とにかく僕はなんともムカついていた。東京造形大学のタグラインとして「だれかで終わるな。」という文句ができたことを知ったのだ。


「だれかで終わるな。」


 だれかで終わることの何が悪いのだ。まったく僕は怒ってしまったし、今でもHPを見る度になんともムカついてきてしまう。

 ただこれが美術大学の受験者に向けた言葉だということは僕だってわかっている。そりゃ美術大学を目指す人というのは、羨望の眼差しで見られる”だれか”になりたいのだ。他のだれよりもおもしろい映画を作ってやるぜと思っているのだ。僕だってそうだった。ただね、僕がムカついているのは、この言葉には”だれかになれた人”と”だれかになれなかった人”というのがいて、だれかになれないことがさも負けみたいにとられる書き方をしている。その差別意識に、こともあろうに大学が無頓着であることに、怒りを感じた。あなたが”だれか”と言った人々にも、幸せがあるし、辛い時期もあるのだ。踊り出したしたくなるくらいに嬉しいときも、辛くて眠れない夜もあったのだ。そのことに無頓着に十把一絡げに”だれか”と言い切ってしまう暴力。


 僕は“だれか”でありたい。死んだあとだれにも覚えられずにさっさと忘れられたい。その他大勢でありたい。映画を監督という立場から作っておいてこんなことをのたまうのは矛盾に感じるかもしれない。けどほんとうだ。「クリエーター」とかいうものにもなりたくない。クリエーターとは呼ばれない職種の人が何もクリエイトしていないとでもいいたげな感じもいやだ。


 いつのころからか、世界の中心が自分であろうという態度に対して割と強めな嫌悪感を抱くようになってしまった。これまではそんな視線を集めたい人たちに「ダッセェな」と思っていたけど、今はもう、少しばかりの怒りすら感じてしまう。先日クイーンのライブエイドコンサートの映像を見ていても、いやだなぁと思ってしまった。自分が呼びかけるコールに反応する観客を見て悦に入っているフレディー・マーキュリーを見て、こうはなりたくないなと思ってしまった。とっても好きだったブルーハーツの映像も、しばらく見ていない。嫌いになりたくないのだ。


 これは僕が、何者にもなれていないことからくる僻みなのだろうか。人は、自分の過去を肯定したいと思うものだろう。僕は”だれか”になれなかった自分の不勉強や不努力を、否定したくないから、”だれか”になることに反対なのだろうか。


 先日ドキュメンタリー映画を3本見た。その3本というのは「家」をテーマとした3本が集められたプログラムである。それぞれが別々の監督によって作られ、たまたま1つのプログラムにするにあたり、共通のテーマとして「家」が設定され、併映されているというだけのつながりである。どの映画にも共通しているのは映画を作っている監督自身が出演したり、ナレーションしたり、つまり撮っている”私”というものを意識させる。はっきりいってしまうと3本中2本からは「特別な”私”」を表現したい感じが伝わってきてしまい、僕はどうもノレなかった。しかしそのうち1本はおもしろかった。それは”私”というものの特別性がどんどんと削がれていく気がしたのだ。撮影方法を舞台挨拶で聞いたら、カメラを据えたら1時間くらいどこかに行ってしまって、あとから素材を確認したのだという。何かを映そうという意識は希薄だ。それがいい。自分の周りの景色は自分のためにあるのではない。それぞれが生きているのだ。その生の一つでしかない自分。これは何も否定的なことではない。実際おもしろいドキュメンタリーができている。


 ”だれか”になれないことを知ったとき、初めて作品を作ることができるのではないか。漠然と今はそんなことを思っている。

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