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価値観が壊れるとき

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 8月12日
  • 読了時間: 5分

更新日:8月13日

 僕が茨城県土浦市に住んでいた小学校3年生のときの担任の先生は、今思うとなかなか問題な先生であった。基本的に不機嫌で、その不機嫌さで子供達に八つ当たりする。朝、先生が教室のドアをバン!とでかい音をたてて入ってくる。僕を含めたクラスメイト達の背中がビシッと伸びる。「チッ」と舌打ちをする。ああ、今日も不機嫌だ。怒られるんじゃないか。そう思いながら1日が始まる。そんなモーニングルーティーンが1週間のうち、おそらく4日くらいはあった気がする。記憶を遡っても朝、不機嫌な先生の姿しか思い浮かばない。そしてちょっとふざけたことがあるとでかい声で怒鳴る。今思い返すと3年1組は小さな恐怖政治によって一体感を保たれていた。よく耐えたなぁと思うが、僕はそのとき「先生は絶対に正しい」という価値観を持っていたので、先生に反抗するということは考えられないことだった。先生が正しい。怒られるということは自分が間違っているのだ。

 その価値観が壊れたのは、つまり先生というのは常に正しく、従わなければならない存在であるという考えは偏っていた、ということに気付いたのは、横浜市の小学校に転校してきた小6のときだった。僕は本当にカルチャーショックを受けた。3クラスあるうちの1つは、ほぼ学級崩壊をしていたのだ。私学を受験する、つまり学校でやる勉強の内容は既に塾で習っているしなんならそれ以上の勉強をしている生徒が、授業を妨害し、騒ぎまくり、暴力をふるって、担任の先生はノイローゼになり、1年の半ばで副担任が担任になった。先生も人間なんだと知った。幸いそのクラスと僕のクラスは別だったのでその話を聞くだけだったのだが、こんなことが行われていいのか、というショックはとても大きく、「先生には従わなければならない」という規範は相対的なものだったのだということを子供ながらに悟った。

 この体験が、例えば横暴な校長先生がいて変な校則があり、それに対して子供達と目線を合わせてくれる先生が物事を相対的に見て子供達が正しいと思ったことには子供達側の味方につき、レジスタンスとして戦い、最後には生徒側の劇的勝利を収めるというようなよくあるかっこいい物語ではなく、単なる反抗期真っ盛りの生意気で手のつけられない小学生集団を見ていたことからくるというのだから、僕の人生はなんとも悲しい。しかし僕にとって価値観が壊れるときというのは決まってどこかマイナスな体験からくるような気がしてならない。


 「映画にもつまらないものがある」ということを教えてくれたのは、その小6の中でもまあ比較的平和なクラスに属していた僕とクラスメイトだったタクホくんからだった。タクホはお調子者だがちょっとませた子で、小6にして石田衣良のエッセイが好きだと言っていた。そんな彼とある映画を見に行って、終わった後にタクホが「なんかつまんなかったね」と言ったのを聞いてびっくり仰天してしまった。「つまらなかった」ということを言っていいのか!僕はそれまで映画というのは全ておもしろいものだと思っていた。だから「おもしろかった」以外の感想なんてなかった。もっと正確に言うと、「おもしろかった」という感想すら本当はうかんでいなかった。「映画とはおもしろいものである」という規則が自分の中でインストールされていて、見終わったら「おもしろかった」と言うし、おもしろかったと思うものだと考えていた。だから大体の映画の感想なんてない。それを「つまらなかったね」と言えるタクホは見上げたやつだと心から思った。そしてその映画を思い返すと、たしかにつまらなかった。

 だから「言葉にできないけどなんか心に残る映画ってあるよね」みたいな認識が映画好き達の原体験としてある程度共通しているのだとすれば、実際にある程度共通していたりするのだが、残念なことに僕にはない。映画を見て「どうだった?」と聞かれても「え、あ、うん、まあ、そうねぇ」とかなんとか言っているのは、そもそも映画を見て自然と何かを感じるという脳の回路が僕にはないからだ。「電球が揺れていたね」とか莫迦なことしか言えないのは、間違った映画の見方を取り込んでしまったからだ。僕はいつまでもタクホを超えられない。


 なんで急にタクホのことを思い出したのかというと、やっぱりこの時期になると生前の彼のことを思い出さずにはいられない…ということではなく、実はこの前木曽で偶然彼と再開して…ということもなく(そんな出来事があれば僕が作る映画ももう少し違ったものになっていたのだが)、これから撮る短編映画の話を考えていると、勝手に過去の思い出、しかも脳の中でもかなり下の方に蓄積されていたはずの小さな思い出がゆっくりと顔を出してくるのだ。そしてそのことを思い出して、あれってなんだったんだろうと考えていると1日が終わっている。タクホ元気かなぁ。映画、見ているかなぁ。


 タクホのことを思い出したついでにもう一つ、彼との思い出を。そんなヤンチャな、というか私学に行くやつが幅をきかせていた困った小学校に行っていたもので、一度音楽の授業のときに先生をブチギレさせたことがある。僕がではなくて、僕が属していたグループの中にいた私学受験者が…もしかしたら僕の思い出補正が入っているかもしれない。多分僕もその悪戯の片棒を担いでいたのだろう。そのときの先生の怒りというのは凄まじくて、授業終わりに椅子を投げ飛ばして怒っていた。それを見ていた僕とタクホは「さすがにこれはやりすぎてしまったのではないか」と思って授業後こっそり謝りに行った。そのときに、今まで儀式としてしか謝っていなかった僕は初めて謝罪をした気がする。タクホ元気かなぁ。ちょっと会いたくなってきた。


 閑話休題。

 個人的な経験として話を考えるときは、机の前に向かっている時間が長ければ長いほど良いというものではなくて、あるとき急に「お、これならいけんじゃね?」みたいな感じの話のタネのようなものが向こうからポンとやってくる。そんなわけで、僕は迫り来る撮影日にとても焦りながら「いいアイデア、カモンッ!」と祈り続けている。皆さんも、一緒に僕にいい話のタネが浮かぶことを少しだけでも祈ってください。


 あ、小学生のときに僕が初めて「こいつは悪だ」ということを身をもって教えてくれたH貝くんとの思い出が今脳から掘り起こされそうです。それはまた別の機会に書くことにします。

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