したくない遭遇としたい遭遇
- Sota Takahashi
- 6 日前
- 読了時間: 4分
「顔を持ってかれる」らしい。何かの比喩ではない。文字通り、顔を持っていかれるのだそうだ。熊に襲われると。
長野県木曽町にいる。ありがたいことに7〜8月はここで滞在をしながら短編映画を撮るという小さなプロジェクトを始めることができた。それもこれも昨年の今時分に神戸に滞在をしていたことから始まる。僕は昨年、『上飯田の話』の関西上映に向けて神戸に3ヶ月間住み込みをしながら宣伝活動をしていた。それを元町映画館の番組編成担当の石田さんがSNSで「#神戸住みます監督」とつけて拡散してくれ、それをおもしろがってくれた木曽ペインティングスの岩熊夫妻が「うちでも住み込みできますよ」と声をかけてくれた。おもしろそうなお誘いには後先考えずにのってしまうもので「行きます」と二つ返事して、今いる。
ただ、熊が出るらしい。目撃情報はちょこちょこ出ている。地元の小学生達はデフォルトでランドセルに熊よけの鈴がついている。何もしていない私は「顔を持ってかれる」のだと脅されている。こんなに怖い表現があるだろうか。『CURE』で洞口依子が殺した人の顔の皮を剥いでいたシーンを思い出した。野生の熊はあれより残酷だろう。ワーッとでかい手で襲われれば一発である。そこにもう顔はない。しゃれこうべと人間の、間の何かがそこにあるのだ。上飯田にも神戸にも熊なんていなかったもので、僕はただただビビっている。宿泊している施設の廊下を通るたびに窓から外を見て熊を探しているがまだ見てはいない。
実はちょっとだけ熊を見たい気もしている。安全な距離感であることを前提に。一度襲われない状況下で見ておけば「なるほどこいつね」と少しは安心できるでしょう。それがあれば次に道でバッタリ遭遇しても、多少はショックが和らぐ気がするのだ。一番嫌なのはどんなやつが出てくるのかわからないまま急に熊に遭遇することだ。もちろんどんな状況でも顔を持ってかれたくはないけれど。
そんな遭遇したときの驚きを減衰させたいという気持ちで思い出したことがある。
最近ゴダールについてのとあるブログを読んだ。そのブログ記事ではゴダールが表現しているのは何かということを非常にシンプルに、わかりやすく、解説していた。よくできているなと思ったが、読み終わってこれはあまりにもうまくまとめられすぎているとも感じた。というのもそのブログを読み終わった一番最初の感想が、もうゴダールの映画を見なくてもいいなと思っちゃったのだ。あのなんだかよくわからないゴダール映画というものが、なんだかよくわかってしまった気がした。事件のように急に現れる美しいモンタージュ、あるいは画面、この遭遇が楽しかった。僕はゴダール映画とは遭遇したかった。瞳を持ってかれたかったのだ。もちろんこれは比喩的な意味として。
けどみんなもそうでしょう?遭遇する楽しみがどこかあったはずなのだ。ゴダールの映画だけでなく、どんな映画にもそういう遭遇の楽しみがあったはずだ。
個人的には映画を”作る”楽しみというのもまた、遭遇したいという気持ちにある。つまりどこかで脚本を逸脱してほしいという欲望である。思った通りにならないでほしい。『上飯田の話』でバナナの木の話をするおじさんを撮っていたときに「遭遇した!」という気がした。保険の営業のシーンを3日に分けて何度も撮影したのはこの遭遇した感じを得たかったから。よし!おれの思い通りにならなかったぞ!という感覚がほしいのだ。こんなことを書きながらふと周囲の人たちを思い出す。スタッフの方々は監督の思い通りになるべく頑張ってくれているのに、当の監督とはなんとわがままな存在であろうか。
堀越謙三は「監督なんてみんな好き勝手なことばかりやる人種」だと言っていたらしい。そうだそうだ!これくらいの好き勝手は許してくれ!なんて言ったらスタッフは離散していくだろうから、ここでだけにこそっと書いておくことにする。
ただその堀越謙三の言葉に黒沢清は「自分はそうではない」と反論したらしい。実は僕は黒沢清みたいな映画を作りたくて芸大に入ったのだった。そうだそうだ!好き勝手ばかり言っていちゃいけないぞ!なんて言ったら過去に監督した映画のスタッフ達からお前が言うなと怒られるだろうか。
どっちかではなく、どっちも正しい。このダブルスタンダードを駆使しながらこれから木曽で撮影をしていく。熊には十分気をつけながら、先日現場でもらった『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のTシャツを着て、撮影を進めていこう。
ちなみに、今回やたらと『上飯田の話』を例に出しました。見たくなってくださると嬉しい。というのも、もう上映の機会がないのです。その後作った映画は色々と見ていただける機会がなぜか継続的にあるのですが、『上飯田の話』だけなかなか恵まれない。このブログを読んでくださったどなたか、是非上映をご検討くださいませ。正直いうとしばらくは宣伝のために住み込むのはなかなか難しい状況になってきているので、企画上映とかで何卒。
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