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髙木義行のことについて

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2024年9月16日
  • 読了時間: 9分

更新日:5 日前

 髙木義行のことについて書こうと思う。彼は荻窪にかつてあった「草花屋」という居酒屋のマスターであり、僕が参加していた句会の主宰者である。2年前の4月に70代で逝去した。その思い出に、というわけではないが今年5月にこの句会の初の句集が作られ、末席には僕の句も掲載してもらった。その句集の最後には、義行さんの長い友人2名によるエッセイが書かれており、彼との思い出が綴られていた。それが本当に美しいなと思った。と同時に、自分にもそれなりに書いて残しておきたい義行さんとの思い出があることに気づいた。なんというか、彼のことは書きたくなってしまうのだ。そういうヤッカイな人であり、人間臭く、なんだかんだみんなから慕われていた人物であった。もちろん、誰彼構わず慕われていたわけではないが、それも含めて良かった。


 2015年の夏。僕は行きつけの居酒屋がなくなり、新たに良い場所を見つけたく、当時住んでいた荻窪の色々な店を飲み歩いていた。その夏の、台風が2つ連続で来る直前だった。僕は「草花屋」という小さな立ち飲み屋に入った。たしか、客は僕1人だった気がする。カウンターに1人でいた背の高いマスターとかなり話し込んだので覚えている。当時は映画専攻で大学を卒業して、小さい規模ながら映画を自主制作していて、批評とか読んでいて、よく見てもいて…要はヤッカイな映画好きだった。そして僕はその初日にマスターと口論になったのだ。「映画とか好きで…」と話した僕にマスターは「どうせ今の若い奴らは小津なんて見ないんだろう」と言ってきた。見とるわ!と血が上り、小津の話をした。口論とは言っても、これは面倒くさい映画好きにありがちな、知識量勝負であった。僕はそれに勝った。しかし僕は映画については話せたものの、それ以外の文学については全く話せなかった。ただ映画のことが話せて嬉しかった。そしてマスターの中でも多分、僕のことを映画には詳しい奴として認めてくれた気がした。

 僕はそこから草花屋に次の日も、その次の日も通った。

 3日目には話がちょこちょこ出ていたシネフィル、根本さんにも会うことができた。根本さんについては、また別の機会にしておく。とにもかくにもそれが僕と髙木義行との出会いだった。義行さんの魅力に取り憑かれた人達は皆この口論、つまりは通過儀礼をしてきたのだろう。


 そこから僕は草花屋に通うようになった。そこは普通の居酒屋とは違った。何が違ったか。来ている人達の文化的な教養のレベルが違った。小説、詩、芸術、落語、音楽、映画、色々なジャンルを横断的に詳しい人達が集まっていた。僕にとってはそこは昭和の知識人とはこういう人達なのだということを思い知らされた場所だった。僕は三流美術大学卒業のただのバカで、そうした場所とは無縁だったため、こぎたない居酒屋だが話している人達はキラキラと見えた。


 「君もうちの句会に来なよ」と誘ってくれたのはその年の夏だったと思う。どうやら毎月第一土曜日に行っているらしい。俳句というのに昔から興味はあったので軽い気持ちで参加をしてみた。自分が何を書いたのかなんて全く覚えていないが、1つ印象に残っていることがある。誰かが句の中で「秋刀魚の香」という表現をしていて、マスターが「『秋刀魚の香』とは言わないだろう」と言った。僕はべつに言ってもいいんじゃないかと思ったが、句会の先生も「言わないね」と言っていて、「秋刀魚の匂いは『香り』とはいわないのか」ということが句会で受けた最初の衝撃であった。そこで僕は人生で初めて言葉のおもしろさを知ったような気がする。


 そのときには僕はすっかり草花屋の常連となっていた。マスターはやたらと大岡信の話をしていたことを覚えている。僕はルイーズ・ブルックスのファンの人だというくらいしか大岡信さんを知らない。だから文学の話になると全くできないが、なんとか映画の話一本で切り抜けた。大体夜も遅くなるとマスターも結構飲んでいて、酔って、また誰かと口論したりしていた。一度大学の先輩を連れて行ったら、どちらから話し始めたか知らないが、よせばいいのに政治の話なんてしだしたものだから、激しい言い合いになってしまった。いい場所なんだが、人は選ぶ。


 さてある日、店の閉店が近い時間。ドアを開けたらマスターが床に倒れていた。どうやら客がいないから自分一人で飲んでいたら酔ってしまい、椅子から転げ落ちたのだという。そして立てなくなってしまったのだ。草花屋の椅子は常に何か部品が足りていないのか、木の椅子では考えられないくらいゆあーんゆよーんと揺れた。そりゃ酔っ払いがゆやゆよんしていたら、ぶっ倒れて当然だ。立てないのは酔っていたせいだと思っていた。


 そんなことがあった年の暮れ。12月25日。僕は当時付き合っていたガールフレンドと外食していた。レストランを出て草花屋の近くを通るとガールフレンドから「草花屋行きたいんでしょ」と言われた。正直行きたかったのがバレていた。そんなことを話していたら、前から句会にも来ている常連さんが歩いてきた。なんでも草花屋に行ったら扉が閉まっていたという。いや、今日はやっているはずなのだが…。「どうせ倒れているんじゃないの」とかなんとか言ってその人はどっか行ってしまった。悪い冗談だと思ったが、ちょっと心配なこともあり、パッと店を見てくるといって僕が行ったら、確かに店は閉まっていたのだが、暗い店内でまたマスターが倒れているのを発見した。「あ、倒れてる」と思って、正直どうしようかと思った。まあ前にも倒れていたことがあったし、どうせ酔っているだけだ。放っておいちゃおうか…。そう思わないこともなかったが、とりあえずガールフレンドの元に戻ってマスターが倒れていることを告げた。そして2人で店前でどうしようかと考えあぐねていた。近くの交番に行ってもお巡りさんはいなかったし、どうせ酔っているだけだから110番する程のことでもねぇよなぁとか考えながら。そうこうしていると別の常連さんがたまたま歩いてきた。…といっても何もできるわけでもなく今度は3人で考えていた。するとどういう流れだったかは忘れてしまったが誰かがお巡りさんを連れてくることに成功した。そうしたらそのお巡りさんが、施錠されている建物に入る権限がないとか言って救急車と消防車を呼んでしまった。あーあ、大事になったぞ。しばらく待っていると遠くからサイレンの音が近づいてくる。しかも3〜4台の音。でかい梯子車で来た。地域の他のお店の人達も出てくるし、大騒動になってしまった。繰り返すが、たかが酔っ払いが酔い潰れているだけだ。倒れているマスターは別に死にかけているわけではないのだけど、救急隊員はドアをバンバン叩きながら「大丈夫ですか!?大丈夫ですか!?」と声をかける。「酔っ払っているだけだから大丈夫なんですよ」と言うわけにもいかずにながめていると、梯子車で2階の窓をバコッと外して隊員が中に入った。そうしたらすぐに内側から1階に行き、中から鍵を外して、無事救出。救急車に連れ込まれた。よかったよかった…と思ったら今度救急車がなかなか出発しない。マスターはどうやら生活保護を受けていた関係で(あと年末ということもあったのだろうけれど)受け入れてもらえる病院がないとのこと。そこからどういう経緯だか忘れてしまったがガールフレンドは当時の僕の家で待ち、僕と常連さんはとりあえずマスターの搬送された病院に行くことに。そこで最終的にはマスターの兄弟が来てくれて、ここでようやく僕の役目は終わり、終電近くに家に帰った。なんだか変なクリスマスを過ごしてしまった。


 後日、マスターは確かに単に酔っ払ってぶっ倒れただけだったのだが、足が深刻な病気を患っているらしいということがわかり入院することになった。本人はそんなこととっくにわかって生活をしていたのだから、僕は余計なことをしてしまったなと思った。うっかり大事にして救急車が来てしまったせいで知られたくない病気もみんなが知ることになってしまったのだ。そのことの悪口も言っていたのだが、それが本心かどうかは僕にはわからなかった。しかし結果病気がわかって長生きしたのだからよかったのだと思うことにする。退院したあとの句会で、入院中に若いナースの手を回診時に握ったら握り返してくれたという莫迦な句を作ってみんなを笑わせた。他の人の句にブツブツ文句も言っていた。


 結局その後草花屋はマスターがいないこともあり閉店した。退院後のマスターに会うには、句会に行くか、荻窪駅南口のサンマルクカフェに行くかだった。サンマルクカフェの椅子にあの長身でどかっと座って本を読んでいた。読んでいたのはささま書店(現、古書ワルツ)の均一棚から買ってきたものだろう。


 僕はガールフレンドと別れて、大学院受験のために会社を辞めて、横浜に引っ越した。句会も足が遠のいてしまったが、一つ思い出があるとすると、大学院受験で提出した『文化の日 製本前の 紙重し』という映画で句会のみなさんに出演してもらったときに、マスターにも出演してもらったことだ。いつも句会が開かれている公民館で撮影をした。マスターは隣家の木だかにできていた檸檬を持ってきてくれた。マスターの出演シーンになって呼びに行ったらどっかに出かけてしまって本当はマスターが出てくるシーンが2つだったのにしょうがないから1つに変更した。あのマスターならしょうがない。1シーンだけになってしまったけれど、マスターの姿を撮れた経験は僕の財産である。


 2022年4月、急にマスターの訃報がきた。句会にもすっかり行かなくなっていた僕が悪いのだが、びっくりした。その後開かれたマスターの家の蔵書を欲しい人が持って帰る会に参加して僕は大岡信さんの著書数冊と山田宏一さんの「友よ映画よ: わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」をもらった。その本はいつだか別の機会にもらった蓮實重彥さんの「監督 小津安二郎」の初版本と一緒に僕の映画棚に残っている。


 今僕に残っているマスターの痕跡は、このとき以来借りパクしている本達と、「彼女」とは言わずに「ガールフレンド」と言う言葉使いくらいだ。昭和の学生運動に参加していた大男が「ガールフレンド」と言っているのがとってもカッコよくて、キュートだった。だから真似している。そんなことを書いていると、あの長身で、足を組み、目を合わさず、吐き捨てるように「キミはほんっとうに、くっだらないナァ」と言うマスターの声が聞こえてきそうだ。


 これで髙木義之との思い出はおしまい。

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