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駄文:違いがはっきりしているものと、ないもの

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 5月18日
  • 読了時間: 4分

 下書きをしているファイルにずっとあるものを、ずっとあってもしょうがないのでアップします。なにを今更と言うようなことを書いていました。おそらくこういうことを書きたくなったということは、誰かにドキュメンタリーとフィクションの違いを尋ねられて、答えられなかったことへの腹いせなのだと思います。しかし喉元すぎて熱さ忘れた今、別にそんなこと書かなくてもいいじゃないというような気もしなくもない。ま、いいや。アップします。


===


 ドキュメンタリーとフィクションに違いはないというのは、僕が大学生の頃にはもうだいぶ言われ尽くした感じがあって、いまだにこんなことを主張し続けることは特に珍しくもなければおもしろくもない。最近はあえて「もちろんドキュメンタリーとフィクションには違いはありますけど」なんて言ってみたりなんかしている。つまりこの2つの間には違いがあるとも言えるし、ないとも言えるのだから、日和見主義的に都合よくその立場を変えていってしまおうというわけだ。


 「じゃあこの2つの違いはなんなの?」という質問は、いまだにこの2つは同じだ、あるいは差異がないと盲目的に信じている人たちがよくしてくる。こういうことを聞いてくるということはおそらく昔、ドキュメンタリーとフィクションの違いはなんなのか聞かれて、うまく答えられなかった人達である。自分が答えられなかったのだからおまえさんにも答えられるわけがないだろうとばかりに聞いてくる。いや、もちろん僕も答えられない。あなたが真剣に考えて答えがみつからなかったことを僕が見つけられるなんて思わないだろう。だけどやはりいまだにNetflixには「ドキュメンタリー」というジャンルがあるし、「ノンフィクション」という特集がテレビにある。人々はフィクションとドキュメンタリーという2つがあることをまずは信じている。これは一体どういうことなのか。皆2つの差異を考えたことがないということなのか。


 違いについて考えていき、見事にドツボにハマっていくのは、この2つの境界線を引こうとするときだ。こっちからがドキュメンタリーで、こっちからがフィクション、そういう明確で誰もがわかる基準を見出そうとするときに、どうも他者への説明がうまくいかないことに気づく。常にその基準を逸脱するような作品がどうがんばっても出てきてしまうからだ。

 むしろそのように分けられることができない性質のモノなのだ。境界線を引くのが難しいというだけだ。しかし故に2つは一緒だと言うのは少々乱暴ではないか。


 世の中には2つのものの違いが明確でわかりやすいものと、よくわからないものがある。

 例えば、出産したあと助産師さんが「元気な男の子ですよ」あるいは「元気な女の子ですよ」なんて言う場面を想像してほしい。生殖器を見てそれがどちらの形なのかを見て判断しているわけだ。「これは…どちらかわかりませんねぇ」ということはまずない。

 しかし右翼か左翼かを考えてみたらどうだろう。自分がどちらに属すかは、正しいと思う方向が右翼的だったり左翼的だったりするなかでより近いのはどちらかという話だろう。「右翼だからこういう思考だ」とか「左翼だからこう考えている」というのではない。政策の1つ1つを見てみればある問題に関しては右翼的であり、あるときは左翼的でもある。常にどちらかだというわけではないだろう。倒錯的に「私は右翼なのでこう考えます」というのは逆に何も考えていないのと同じだ。しかしそれで「右翼と左翼には違いがないんです」といったらあまりにも乱暴でしょう。


 2つの違いを説明しにくい類は、便宜的に後からつけられたものだ。映画は誕生とともに色々なタイプのものが生まれて、その過程で便宜上「ドキュメンタリー」や「フィクション」と呼ばれるものができてきた。だから違いがないというわけではない。ただ個別の判断をしていくというよりも全体的なある傾向でしか分類ができないという性質があるだけだろう。

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