雑文 どこにならいてもいいのかしら
- Sota Takahashi
- 2023年6月1日
- 読了時間: 2分
僕はよく嫌な記憶がフラッシュバックして「やめよう!」とか「あーもう!」とか短い言葉を突発的に叫んでしまうことがある。大体中二くらいからこの症状を抱えている。このことが起きること自体を僕はもう悩んでいないし、多分一生付き合うんだろうなと思っている。そしてつい最近こういうことに悩む人は割と多くいることを知った。「なんだ、やっぱりみんな悩んでいたんじゃないか」と安心した。しかしみんな普通にこういうことがあるなら、なんで映画でこういう人を見ないのだろうか。
映画、演劇、なんだっていい。こうしたものによく出てくる「本当だということになっていること」について僕は割と真剣に悩んでいる。人は風呂を浴びながら、着替えながら、テレビを見ながら、過去がフラッシュバックして叫ばないことになっている。これはちゃんちゃらおかしいことではないか。僕はおかしいと思う。
だから僕の映画では、こういう無視されている細かい所作を肯定していきたい。
しかしそのことによって物語が不透明になることは覚悟しなければ。物語を楽しもうとしている人にとってこうした癖の多い人は厄介だろう。変な伏線にも思われてしまうし。
ところで最近の映画はやたら気になるところが伏線だと思われているところがあってどうも生きづらい。現実の世界でも生きづらいのに、フィクションの世界でも生きづらいなんて、どこにならいてもいいのかしら。
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