自分で選択したことの楽しさ 20190803
- Sota Takahashi
- 2020年9月20日
- 読了時間: 3分
下記記事は2019年8月4日にこちらで公開したもののBUです。
今回の記事は制作には全然関係ありません。
勝手に思ったことを書きます。

さも自分で選択したかのような錯覚
ここでの滞在は非常に快適である。
楽しい。そして今の所なにもしていないにも関わらず充実感もある。
それはここに来ることが親の影響を全く受けずに僕が自分で選択したからだと思う。
おそらく僕の今までの人生で選択してきたことの多くは親が「さも自分で選択したかのような錯覚」をさせた末に行なっているように思う。
昔僕は3つの習い事をしていた。
サッカー、水球、ピアノ。
サッカー以外は数年やってしばらくして辞めた。
水球とピアノは母が習わせたかったから習っていたように思う。
しかしその時も母は「ほら、こんなに水球(ピアノ)って良いでしょう」ということを僕に思わせて最後に「やる?」と聞いてきた。
だからやった。
そして辞めた。
高校時代に僕は留学をしていた。
それも家族からの勧めで留学することにした。
一度留学を辞めて日本の高校に行きたいと相談したこともあったのだけど、最終的には感情論で説き伏せられた。
だから「なんで留学したの?」という質問には僕は「僕が行きたかったから」という答えをしたことがない。
サラリーマンをしたていたのも、普通するだろうということを言われたから続けてみた。
営業
ところで話は変わるけれど、僕は一時期「営業部」なる部署にいた。
うまくなりたくて営業の本とか読むわけだけど、端的に書くと営業のコツは「さも自分で選択したかのような錯覚」をさせることだ。
その商品を買うか買わないか、判断するのは最終的にお客さんだ。
だから大抵の営業テクニックは、売り込みをしないで最後の選択をお客さんにさせるように心理的に持っていこうとさせる。
いくつかの質問に「はい」で答えるような質問をして断りにくくしたり、一度断ると次も断るのは気が引けるから断りにくくしたり。
「営業 テクニック」あたりで検索をするとたくさん出てくる。
ちなみにナンパがうまい人もそういう心理操作を行っている。
さも「私がこの人に惚れた」と思わせている。
自分から声をかけたにも関わらず「最終的に判断したのはあなたですよ」という切り札を持つように操作をする。
それが上手いからまんまと落ちる人がいるわけだ。
だから営業が上手い人はナンパも上手い。
スボティツァについて
僕はここスボティツァに滞在しているときの充実感は、多くの「さも自分で選択したかのような錯覚」から離れて、自分の意思で来ることを決めたからだと思っている。
そもそも僕がここに来るきっかけとなったのは、頼まれてもいないのにヨーロッパ旅行をし、勧められてもいない東欧に出向き、自分で飲み屋に入ったところ、アナに会い、その繋がりで多くの人に会うことができたからだ。
ここには親の影響がほぼ無い。親への反発心はあっただろうけれど。
その自由さがとても大きな充実感と幸福感をもたらしてくれている。
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