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物が捨てられない

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2024年3月27日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年10月12日

 母は昔の物に対する愛着というものが、僕からすると信じられないほどに、ない。古くなった物はバンバン捨てる。汚いから、旧型だから、そんな理由で新しい物が我が家には増えていく。この前は結婚のときに買ってもらったらしい大きくて重い箪笥を捨てていた。その箪笥と同じくらいの年月あったはずの姿見のついた縦長の洋服掛けも捨てていた。もっと驚いたのが数年前、自分の過去の写真が入っているアルバムが久々に出てきたと思ったらポイポイ捨てていた。びっくりする。


 僕は小学5年生で転校するときに、5年間使っていたランドセルを捨ててしまった。母親に「どうせ使わないんだから捨てなさい」と言われて捨てた。そしてそのことを激しく後悔している。あのランドセルは僕の5年間なのだ。汗が染み込んでいて汚いかもしれないけど、僕にとっては大切な宝物だったはず。それを捨ててしまった。同型のランドセルは見つけられるが「あの」ランドセルはもう戻らない。何か自分の大切なものを失った気がした。それ以降、簡単に物が捨てられない。


 こと物への愛着という点からすると、僕と母は全く逆の価値観を持っているようだ。僕と母は決定的に昔の物に対する価値観が違う。母は車もバンバン買い替える。僕は時折幼い頃に乗っていた紺のセフィーロがまだあったら、かっこいいのになと思う。

 そういえば『移動する記憶装置展』という映画の撮影中、横浜市泉区上飯田町の人たちにインタヴューしていたときに、同じようにバンバン写真をすてていたおばあさんがいた。もしかしたら歳をとるとある程度昔の物への執着は薄れてしまうのかもしれない。それよりも新しいものが良く思えてくるのだろうか。


 とにもかくにも僕は物を捨てられない。だから、前に付き合っていたガールフレンドには、プレゼントは必ず消耗品にしてくれとお願いをしてきた。捨てられないからだ。人間関係は変わっても、物はその場に残り続けるのだ。ガールフレンドは怪訝な顔をしていた。そこにあり続けるからこそ残る物をプレゼントしたいと言ってきてくれた。しかしそういう人に限って向こうから別れ話を切り出す。案外消耗品をくれる人の方が長続きしやすいのかもしれない。そんなこんなで部屋にはその人から貰った物だけが残り、途方に暮れる。


 最近実家のリフォームに伴って引っ越しをした。部屋の片付けをしていると、出てきた。いつぞやにもらったテディベア。全く自分の趣味ではないからこそ、割と綺麗な状態で残ってしまった。これがオンボロなら捨てる口実にもなるのだが。例の如く捨てられずにとりあえず持ってきた。多分、捨てるのはずっと先のことになる。これをくれた人がまだ持っていることを知ったら気持ち悪がるだろう。テディベアを…ではなく、私のことを。

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