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演じる恐怖について

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2021年5月16日
  • 読了時間: 4分

 数ヶ月前のことである。私はとある自主映画の現場に助監督として参加していた。その撮影が終わり、打ち上げの2次会会場である公園(この頃20時を過ぎても営業している居酒屋がなかったのだ)に向かっていた。何がきっかけだったか忘れてしまったが、私がその映画の主演女優の1人と即興でスキットを演じることになった。設定としては我々は付き合っており、彼女は別れたいと思っているが、私は別れたくない。彼女をなんとか食止めて関係を修復していくというものであった。私は飲み会のノリだからという理由で役者と一緒に何かを演じることは良いものかどうかがわからず、非常に消極的な態度をとっていた(はず。多分)。が、その俳優さんが非常に寛大な方で私が即興演技の誘いを断っている最中に既に即興で彼女役の演技を始めていた。そうなると誘いを断るわけにはいかないので、私も参加した。


 この経験が、非常に辛いものであった。


 実際に別れ話になったときを想定すれば、というか過去の経験からすれば、ボソボソとした話し声になるわけで、しかしそれでは囃し立てた周りの人は面白くない。では付け焼き刃な真剣風演技をするにしてもそれをプロの俳優に対してしていいのか。モタモタとそんなことを考えている間にも何かは言わなければならない。即興演技なのだからハズレは無いが、その代わりアタリも無い。

 私はどちらかというと確実にアタリの道を堅実に進んでいきたいタイプである。もしハズレにでもいったらその経験がフラッシュバックして今後数十年にわたって苦しめられることになる。そんな性格なのはわかっているのでアタリだけを歩んでいきたいのだけど、どれがアタリなのかもわからない。

 そうこうしているうちに可もなく不可もない感じにグダグダとスキットは次の話題へ移っていった。ただこのときの経験が恐ろしく私にこびりついている。ああ、怖かった。


 私は映画を作っている。そして、こんなことを全く思わなかった自分を恥じるばかりだけれど、私はこのときに味わった恐怖をずっと役者に対して与えていたことに無自覚だった。今までカメラの前で演技をしたことがないわけではないが、そのときはあまり怖くなかった。ただ、このときは怖かった。

 即興演技だったからだろうか。


 話は脱線するけれど、私が東京造形大学にいたころ、学長は諏訪敦彦だった。デビュー作『2/Duo』から始まる即興演出で有名であった。そして映画専攻では、即興演出というかアドリブ、は通過儀礼のように誰しもが一回やってみて、そして無残にも酷い映画ができるということを繰り返してきた。なんで諏訪さんのようにできないのだろうか?そう思いながら、失敗作を続けて作りたくはないので別の演出を試す。そんなことは誰しもがやってみるものだった。出来上がった失敗作達の敗因はそれぞれあり、多くは準備不足だ。私もご多聞に漏れずやってみて、そして散々な結果となった。そんな流れで私も友人の即興的な演出をする映画に演者側として入ったこともある。しかしその時は平気だった。


 あれやこれや考えて気づいたのだけれど、数ヶ月前の即興演技で感じた巨大な恐怖は、演じること一般に通底する恐怖に触れたのではないか。このときに感じたことは今まで経験したことのある即興演技とは決定的に違ったことがある。それは視線の強度と言えばいいのか、見られる力の強さである。周りに他のスタッフが見ている状態の中で、何がアタリなのかは誰もわからないけれど、アタリ的な何かを期待されて注がれる視線。

 それはカメラの前で演じる役者の身体に注がれる、与えられる、ぶつけられる視線の強度である。


 濱口竜介著「カメラの前で演じること」によれば、彼が『ハッピーアワー』で演技未経験の方に行っていた演出の目的は「安心してもらうこと」と「勇気づけること」だったという。あのときの、酩酊状態ではあったが、激しい恐怖を味わった私の心に足りなかったことも、安心と勇気であった。あんな気持ちに俳優をさせたくない。


 私は私の作る映画の出演者に安心と勇気を与えられていただろうか。十分に足ることはない。なぜなら無数の鑑賞者の視線となるカメラがあるからだ。この存在をゼロにできないが、しかし安心と勇気で、相対的に存在感を低下させることはできたはずだ。その努力は全くできていなかった。

 これは今後の映画作りで大きな課題となるはずだ。


 諏訪さんを安易に真似して即興をさせていた私に言ってやりたい。私は人への思いやりが足りなかったから失敗したのだ。


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