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沖縄で起きたハンストについて 20200205

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2020年9月20日
  • 読了時間: 4分

下記記事は2020年2月5日こちらで公開したもののBUです。

2019年1月、米軍普天間飛行場の移設計画をめぐる県民投票を「実施しない」と宜野湾市を含む5市長が表明したため、一人の男性がハンガーストライキをした。105時間後、彼は医師の指摘で中止した。


私は当時、ハンストに何の意味があるのかと思っていた。「私の要求が通らないなら空腹で私が死ぬぞ」という主張には何の意味があるのかと思っていた。敵対する人たちにとって何のリスクがあるのかわからなかった。


ただ私のその考えが徐々に変わってきていることを私は感じている。

「ハンストはすべきだった」と思っているわけではない。

私はこの問題にそもそも意見すべき立場にいなかったと考え始めている。


なぜ、私は意見すべき立場にいないと思ったのかというと、このハンストはそもそも「土地に対する思い」から始まっていると思われ、私はその思いを共感できるほどの感性をほとんど持ち合わせていないからだ。


私は「郷土愛」といったものを感じられない。

横浜の外れで生まれ、今住んでいるところは昭和から平成にかけて作られたニュータウンである。この土地は私の両親どちらの故郷でもない。両親は横浜の別の場所からここに移住してきた。先祖の墓もここにはない。そして私は、幼稚園までここで育ったものの、年長から小学5年生まで父の仕事の関係で茨城県に住んでいた。中学校はここで過ごしたものの、高校はオーストラリアにいた。大学生になって戻ってきて、また半年イギリスにいた。就職してからは都内に住み、昨年帰ってきた。その間、私の生まれ育ったこの土地は微妙な変化を繰り返してきた。

幼いころに遊んだ公園の遊具は新しいものとなり、街のシンボルのように立っていた木はなくなった。幼いころは野っ原だった場所には多くの家が建っている。

今住んでいるここは私の「ふるさと」だろうか。私にはそういった実感はない。住む場所がどんどんと変化していったことで私にはどこにも故郷と思える場所ない。一番長く住んでいるここ、この街も、変化した。私の意思とは関係なく、大人が決めたことに従ってきた。それに意見する資格もまたないかもしれない。私がここに住んでいる期間は他の住民より短いだろうから。そしてこれからも変化していくだろう。私のいない間に。もしかしたら今住んでいるニュータウンがまた平地に戻るかもしれない。だとしても私は構わない。

「人は生まれた場所で死にたいと思う」と「男はつらいよ」で言っていた。しかし私にはそれは共感できない。それならブルーハーツが歌ったように「のたれ死んだところで本当のふるさと」という言葉の方がしっくりくる。


私には沖縄生まれの彼女がいる。今回このことを考えるきっかけとなったのは外でもない彼女と話したからだった。

彼女にとっての沖縄という場所は、私の横浜とは全く違う。彼女だけではない。沖縄に生まれた知人の多くは沖縄という土地に対する思いが強くある。ハンストのきっかけは何よりその郷土愛からきたものだ。そこを共感できないままにこのハンストを無下に批判することはできないのではないか。

彼女らにはどうしても守りたいものがある。しかしそれが壊されようとしている。今何かをしなければ壊されてしまうだろう。そのときに一体何ができるか。正当な手続きを一度踏もうと試みたものの、それも無残に無視された。だからといって大切なものを壊されていく様をただ見ているわけにはいかない。A作戦も失敗した。B作戦も失敗した。残るはどんな作戦があるか。その末にハンストが行われたのではないか。大切なものを守るための手段がたとえ論理的ではないものであろうとも、何かをしなければならない、その気持ちはわかる。


私はこの後もおそらく故郷なる場所ができるとは思えない。どこかに定住してそこで一生過ごすこともないだろう。だから郷土愛を感じることはないと思う。私がもし郷土愛に近しいものを感じられるとすれば、郷土愛をその都度私の「どうしても守りたいもの」に置き換えて考えていくことしかできないだろう。しかしそれは郷土愛と全く同じものにはならない。私は郷土愛そのものを感じることはできない。その断絶が絶対にあるということを意識しながらこのハンストを見ていかなければならない。

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