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杉田協士監督『春原さんのうた』

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2022年7月2日
  • 読了時間: 2分

『春原さんのうた』というのは「1=1」という等式を保ち続けようとする映画だ。私とあなたは同じ。そのことをひたすら繰り返している。そう確認することで見ている私たちもそこにいることを許される。

マグカップから植物に水を与える。その水の余りを自分も飲む。このとき水が「=」となって飲む植物と沙知を同じモノとして映す(余談を。この水を沙知が飲むのは撮影稿に記載がない)。もっと前のシーンに戻る。カフェでなんだか2人の女性が会話をしている。片方は店員さんであり、もう片方はお客さんである。しかしどちらも敬語を使わない。お互いタメ語で話す彼女たちに「客」と「店員」という上下関係はない。もちろんこの使う言葉の差は、ときに現れたりもするのだけれどその都度別の「=」が現れる。それは塩(葬式帰りの2人と店員)であったり、スマートフォン(大学生と沙知)であったりする。これらの物が挟み込まれると途端に挟まれた両側は一気に対等な関係になっていく(ところで塩はまた、お清めの塩と食塩に一切の差異を認めていない)。ゴールもなくバスケをするためにするバスケ、売る予定もなく書道をするためにされる書道、目的を欠いた宙吊りの行動達もまた単なる行為になっていく。

そしてなにより、見ている私たちと映っている人々の間にも「=」が置かれている。この単純な「1=1」を保ち続けることで見ている私も、私でいられる。…ような気がしてくる。


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