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『小さな声で囁いて』の大きな衝撃

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2024年10月27日
  • 読了時間: 4分

 ある種の映画は見た後、その後の人生で映画を見るという体験そのものを変容させてしまう力を持っている。映画とはこうやって見るのだと、映画そのものから教えられる。僕は映画研究者でもなければ、映画批評家や評論家ともまた違うので、映画史的にどうだということには無責任な私的な立場からいってしまうが、こういう映画を傑作と呼ぶのだと思う。作り手としては、絶望的な気持ちにさせられると同時にドライな希望を与えてくれる。

 黒沢清監督『神田川淫乱戦争』を見たときがそうだった。何度見てもちっともわからないけど、みんながおもしろいと言うゴダールの映画というのは、こういうことなのか!と膝を叩いた。そこでようやくゴダールのかっこよさを知る。


 『小さな声で囁いて』(山本英監督)という映画を見ることもまた、その後の映画の見方をガラッと変えてしまうおそろしい体験だった。先日、芸大の20周年記念上映で6年ぶりにスクリーンで見返して、改めてこの映画の力強さに打ちのめされた。


 6年ぶり、というのはこの映画が12期の修了制作として馬車道校舎で上映されたときに僕は一度見ているからだ。その時期というのは会社員として働いてしばらく経ち、そろそろ脱サラして芸大受験をするかどうか悩んでいたことも相まって、僕は修了制作を毎年見にいっていた。

 その時期の芸大の修了制作には正直ノれないものが多く、芸大というネームバリューや制作環境に憧れはあるものの、そこで作られている映画は僕のやりたいことと違っていた。もし会社を辞めて進学しようと思っても、自分に合う学校というのは芸大じゃないんじゃないか。しかしじゃあどこに行くのか?

 12期の修了制作上映会で他の映画を見たときもまた、そんなことを思った。やっぱり違うなぁ。映画を撮ったり撮ろうとしたりする人々のうちには奇抜な個性の持ち主が少なからずいるが、その人たちの突飛な世界観を表現することに映画が終始していた。僕が見たいし作りたいと思っていた映画とは全然違う。


 その上映会で『小さな声で囁いて』は最後から2番目に上映された。上映時間110分。長い。正直、真面目な題材を語っているだけで大したことの起こらない画面を、長回しで見せることで洒落っ気だしたような映画に違いないと思っていた。実際自主映画にはそういう映画が多かったのだ。映画が始まってしばらくはそんなことを思っていた。ただ冒頭の方にあるロープーウェイの画面を見ていたとき、何かが違うと思った。

 最初に見たときの感想がTwitterに残っていた。


冒頭のロープウェイのカットだけでもうこの映画の力強さがわかる。出発した途端に流れる中途半端な音楽、それと同じくらいの音量で会話が聞こえ、さらに観光ガイドまで流れ出す。画面奥には熱海の海がちょうどいいスピードで現れて、照明は見過ごしそうになるが逆光になっている。

 その後の展開は、この興奮のままに、さまざまなショットが輝いて見えた。今いる現実はそのままで美しいものに転化しうるということを知った。


 僕は正直にいうと『小さな声で囁いて』に近い映画として挙げられるジャック・ロジエやエリック・ロメールといった映画監督の作品に、うまくノれないことが多かった。ただみんながおもしろいと言うものだから、僕もわかったフリをしていた。そうやって映画好きコミュニティにしがみついていたのだ。だけどこの映画を見たときに、「ああ、そういうことだったのか!」と合点がいった気がした。言葉では説明しづらいけれど、ロジエとロメールがやっていたのはこういう感覚なのかと妙に納得する。そこから両者の映画を見ることが妙に楽しくなった。僕は『小さな声で囁いて』で映画の、美の味わいというものを知ったのだ。


 それだけが直接のきっかけであるということはないが、こういう映画も作れるのだったら芸大に行きたいと思って、結局僕は脱サラして、芸大に入った。

 ちなみに山本英くんは僕と同い年。同じ大学でもある。ただ学年が違うということや、在学中にからみもなかったので、ある程度の距離感で冷静に見ていられる存在だった。こんなやつが同期でいたら、僕の絶望はまた一入だったはずだ。

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