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映画作りの2つのスタイル

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2021年6月9日
  • 読了時間: 3分

 最近、映画監督が作る組織には大きく2種類あることに気づいた。「行政型」と「ボランティア型」と名づけることにする。この2つの用語は中井久夫さんの本に出てきた言葉を借用している。この2つの大きな違いは、人々をどういう状態に置くのかだ。


 「行政型」の監督は、一般的に映画監督といって想像されるような人たちのことだ。スタッフ達を組織し、効率よく仕事を行なう。トップである監督からの連絡によりそれぞれが動く。決めたことを行っていき、急な対応には不向きだ。言い換えれば「クール」なスタッフたちである。


 「ボランティア型」の監督は、スタッフが自分でそのときどきに最善と思うことをさせる。その場で良いとすることができる。人々はお祭りのような連帯感、共同体感情のもとに行動し、とっさの出来事への対応も柔軟だ。こうしたスタッフ達を「ホット」な状態に置く監督である。


 最近の傾向として、映画作りは「ボランティア型」が志向されているように感じる。もちろんプロの現場は仕事として行っている人たちであるから、基本的に「行政型」で動いている人たちが多数だろう。しかし諏訪敦彦監督が行おうとしている「こども映画教室」はこども達が全員監督という中で映画を作ることを考えたり、鈴木卓爾監督が近作(『ジョギング渡り鳥』等)で作ろうとしているのも、監督の存在を薄めていっている。彼らはホットな組織で映画を作ろうとしている。

 諏訪さんが前にこんなことを話してくれた。ある映画撮影の現場でスタッフたちが今撮影している現場の後に入る別の現場の話をしていて、嫌だったと。スタッフがクールなことに違和感を覚えた諏訪さんは結果既存の映画作りとは全然違う組織を志向した。


 私はホットな「ボランティア型」に憧れている。スタッフ各々が作品のことを真剣に考えて作る組織を作ってみたい。しかし、私は気質的に「行政型」である。サラリーマンをある程度やっていてそちらの方が慣れている。決まりを作って動く方が動きやすい。私が現場でしばしなんの役にも立てられずにデクの棒となっているのは、ボランティアのように自発的に動くよりも行政の職員のように決まった仕事をしてしまう気質だと、信じている。きっとそうだ。

 中井久夫さんは「双方に同じ程度の不満感が残るのが実はいちばんうまく行っている場合であると私は思う。」と書いている。なので狙うべきは、行政的に非行政的なことを行うことだ。ちゃんとした手続きをして自由に作る。そんなことできるか。


 ところで大きな組織を動かすことに不慣れな監督は願わずして結果的に「ボランティア型」になってしまうときがある。行政的に作りたいけれど各部の仕事内容が把握できておらず、焦った監督を見かねて各々が勝手に正しいと思われることをする。これは非常に危うい。なぜ危ういか。すっかり自分の映画ではないようなものが出来上がってじうからだ。今まで「ボランティア型」の監督が「行政型」の映画のプロ達の中で初監督する。そのときに自主時代に持っていた魅力が薄れてしまうことはよくある。こういう状態はなるべく避けていきたい。


※引用元:中井久夫著『時のしずく』より

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