映画の労働環境について
- Sota Takahashi
- 2023年6月21日
- 読了時間: 3分
映画の労働環境を変えようという運動がここ数年で出てきた。とても嬉しい。僕自身いくつかの現場に顔を出して、日本の映画業界は現場で働く人たちから状況を改善していくことは難しいのではないかと思っていたからだ。そこで働く人たちは基本的にフリーランスで、今の状況に反対しようものなら次の仕事がもらえないという危機感がある。だから長時間労働に文句を言いづらい状況になっている。それだけでなく、長時間労働が当たり前だと思うことによって、別の長時間労働現場が再生産されてきた。僕はこのような状況を変えるには、例えばフランスのように働く人たちから声をあげるのは困難であると思う。逆にその人たちを雇っている人たちの意識が変わらなければ、状況はずっと変わらないだろう。
ただ、だからといって雇う側の人たちが状況を変えづらいということもわかる。そういう人たちは若い頃に過酷な現場を生き抜いてきた人たちであるからだ。「これくらい自分だって耐えてきたんだ」という気持ちになることはわかる。かつてサラリーマンとして働いていたときに、僕もそう思ったことがあるからだ。「これくらい耐えられないと社会人として生きていけないぞ」と思っていた。へこたれてんじゃねぇ、おれはもっと大変だったんだ。
労働環境を変えることの難しさは、ここにある。その状況を変えるためには「かつての自分は間違っていたのだ」と認めることが必要になる。よくいう「今の時代に合わせなければいけない」のではない。自分のいた環境は間違っていたということを認識しなければならない。自己否定だ。あのときに辛い環境で何も言えずに働いていた自分を省みることから始まる。
もしこのブログを人を雇う側の方が読んでいたら、今関わっている現場では難しいかもしれないけれど、いつか実現しようと思ってくれると、僕は少し嬉しい。別に僕のために思ってくれる必要はないけれど。もし過酷な現場を作りつつもそれが普通だと思っている方が読んでいたら、周りの人はニコニコしていても正直な意見を言えていない可能性があります。それが辛くないなら、今は何も変える必要はないのかもしれません。
僕は基本的に自主製作で映画を作ることが多いので。まずはせめて自分の好きにできる自主製作から、ひっそりと、状況を変えていきます。かつて過酷な現場に参加したときに何も言えなかった自分の代わりに。もし興味がある方はご連絡ください。
ところで幸い僕は最近とても良い環境の現場に参加することが多い。参加していて楽しいし、自分の時間が持てる。自分の時間が持てるということは「あのときああすればよかったな」と反省してそれを次の日に活かすことができる。とても気持ちがいい。
がむしゃらに働く時期はときに必要だけれど、そんなガッツだけではどうにもならないときってあるじゃない?
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