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撮影最終日に助けられた話

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2023年9月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年9月6日

 『移動する記憶装置展』撮影最終日、しかもその日の最後のシーンでもあり、映画の最後のシーンでもあった、…の準備中、僕は大変悩んでいた。この映画をどう終わらせるのか全くわからなかったからだ。当初予定していたシーンはどうも違う気がした。それはジャンケンをするシーンで、一応言い訳をしますと…ジャンケンをするシーンというのを一度映画で撮ってみたかったのです。ただ、やはりどうも違った。これは演出がミスったためである。で、僕は悩んでいた。色々な行動を試した。そんなときに助かったのが、影山さんと廣田さんが「麻子(役名)はこんなことしない」とか「これはスミレ(役名)っぽい」とか、言ってくれたことだった。


 映画は人を描くと言われていて(…どうやらそうらしい)、観る人はちゃんと人が描かれていることに感動する(…どうやらそうらしい)。本当だろうか?正直に書くと、僕はこの「人が描けている」ということが全くよくわからない。よくわからないどころではない。全く興味がない。自分が映画を見ているときに感動するのは、こうした人を描くということとは全然違う何かに突き動かされたからだった。

 むしろ全く予想だにしないことをやってこそ、人というものだ。よく『CURE』の話で黒沢清さんが言うのは、いかにも殺人しそうな人が殺人をするのではなく、ごく普通の人がなぜか殺人をしてしまう。そういうもんだと僕も思っている。


 ところが、そうはいかないのが映画の困ったところで「密告者はすぐに密告するわけではないし、殺し屋だってそう簡単に人を殺したりはしません」(黒沢清)。「〇〇はこんなことをしない」という言葉がどんなに僕の感心から遠くにあったとしても、それを無視することはできない。そういうときに大変助けられたのが、冒頭に言ってもらった言葉たちだった。大変助けられました。


 しかしよくわからない。僕が書いた脚本なのだから人なんて描かれているはずがない。自信を持っていおう。僕の脚本に人なんか描けているはずがない。それなのに「〇〇はこんなことをしない」と言われましても…僕自身が「そうだったんだぁ」とそこで初めて知ったりなんかする。やはり生身の人間がそこにいたという当たり前の事実をこちらが後から気付く。俳優というのはすごい人たちである。僕が全く書かなかったその人になっているのだから。ちなみに僕は『移動する記憶装置展』については、ちょっとわかりづらい言い方をすると「〇〇らしさ」から遠く離れ過ぎて逆にその人だと納得させえるある地点を目指していた。どういうことなのかは、ぜひスクリーンで。


 さて冒頭に書いたその撮影最終日は、もはや「えいや!」と撮った。何せ夕方で日が暮れてきて撮れる時間の限界が迫っていた。それがどんなラストシーンになったか、それをここで書くほど僕も野暮ではない。ぜひスクリーンで。

 そのシーンのすぐ後には芦澤明子さんからお褒めの言葉をいただいた、エンディングロールも始まるよ。

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