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批評:「きらめく拍手の音」夫婦の習慣について

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2020年9月20日
  • 読了時間: 2分

下記記事は2015年10月14日こちらで公開したもののBUです。

 

ドキュメンタリーは嘘をつく。目の前で戦争の記憶を話している男が、実は戦争を体験していなくても構いはしない。問題は、映画を通じていかに見せるかである。その点からして、イギル・ボラ監督作「きらめく拍手の音」には1組の夫婦が映っている。そういえるのはこの映画に出てくるソファーの存在があるからだ。


耳の聞こえない両親を持つ監督が、自身の家族・生活にカメラを向けたこの作品の中で、テレビを見たり、インターネットをしたり、キムチを漬けたりする際に度々リビングルームが映る。このリビングルームに置いてある茶色い大きなソファーに、長くここで暮らしているであろう監督のご両親はなぜか座らない。

2人がインタビューを受ける際には、床に座って、ソファーを背もたれ代わりにしている。(パンフレットの中のスチール写真にその姿が映っている。) この2人が寝るときは、床にブランケットを敷いて寝る。リビングルームで食事をする際も、ソファーには座ろうとしない。他の椅子には座るが、このソファーは別だ。

ではこのソファーには誰も座ってはいけないのかというと、そうでもない。監督の弟がインタビューを受ける際にはこのソファーに座っている。お祝い事の際には小さな子供2人がソファーの上で遊んでいる。インターネットで土地を探す父の後ろで男性がソファーに寝転ぶ。

なぜなのか理由は全く明かされないけれど、この2人はソファーには座らないようだ。


ドキュメンタリーは嘘をつける。だからこの2人が本当は夫婦でなくとも良い。しかしこの2人はしっかりと夫婦に見える。2人の間には、この映画を見ている人にはわからない、ソファーには座らないという習慣があり、その習慣を映画全体を通じて守り通しているからである。これを見たとき、ドキュメンタリーかフィクションかという質問はくだらない。長くこの家に2人で暮らしている姿が確かに映っていた。

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