top of page

小話が好きだ

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2020年11月27日
  • 読了時間: 2分

 小話が好きだ。エスプリが効いていて、ウィットに富み、そして人生の役に立たない。この「人生の役に立たない」ことはとても重要なことだと思っている。きっといかなる芸術も人生の役に立たない。しかし作品を見せようとするときに何か人生の役に立つようなものがないと時間を費やした意味がないと思われてしまう。だから取り急ぎ「愛は尊い」だとか「友情はいかなるものにも勝る」だとか、そういうものをひっつけているんだろう。

 さて小話と呼ばれるものは、ジョークだとかエピソードトークだとか、名称を変えて浸透しているが、その多くは言葉による伝達を主としている。それを映画独自の形態でやろうというのが今回考えた企画だ。...が、映画独自の形態とは何だろうか。小話のことを書く上で落語を外すことはできないので、これを例に書いていく。

 時折、古典落語を映画化した作品(『幕末太陽傳』等)がある。ということはそこで語られる物語は落語でも映画でもできる話だ。今回僕がやりたいのは、言葉で伝えようとするとどうしてもつまらないものになってしまうが、映像で見ると面白い話。そう書くとよく、何か映像ではないと表現できないビジュアルエフェクト(ノーラン映画で出てくる類のもの)を使っているのかと思われるが、僕がやりたいのはあくまでも日常的な風景にもかかわらずだ。今までもないことはない。タチやジャームッシュがやろうとしていたのはこういうことだったろう。

 『粗忽長屋』や『頭山』はいかにも落語でしかできない話だ。これは言ってみればノーランの映画と同じである。いかにも話芸だからできる物語だ。こういった話はこれですごい。そんなことは誰が聞いてもあきらかだ。しかし、僕は意外と『雛鍔』は落語ではないと面白さが伝わらないのではないかと思っている。いかにも映像化しやすそうな内容だろうけども、あれを映像化するのはかなり難しいだろう。単に物語を伝えるだけであれば、できないこともないように思うけれど、映画としてカット割を考えてみても全然面白くなる気がしない。落語の中でいう、こういうことが映画でもきっとあるはずだ。そう目指して作っているのが今編集している『上飯田の話』である。

 あらすじを書くことはしないけれど、エスプリが効いていて、ウィットに富み、そして人生の役に立たない話であることは間違いないと思う。ところで映画が人生の役に立ったことなんてあっただろうか?


 ちなみに『締め込み』という僕の大好きな演目があって、これはおそらく落語の演目でありながら映画の方が面白くなる珍しい話だと思っている。


最新記事

すべて表示
科白を噛むと嬉しくなる

「『リオ・ロボ』の中で女の子が台詞をとちりながら喋った時、いいなあと思った。というのも普通、人はそういう風に話すものだし、私も変えようとは思わない。」 ハワード・ホークス  小学校6年生のとき、文化芸術鑑賞のプログラムで劇団四季の演劇を観ることになった。そのときのことをよく...

 
 
 
2年でお別れ

僕は物持ちがいい。小学生の頃から使っている筆箱がある。高校生の頃から着ている服もある。リップクリームは5年かけて使い切った。家のパソコンは前の会社で使っていたものをそのまま買い取ったもので、もう10年くらいになるのかな。先日残念ながら壊れてしまった髭剃りも10年以上使ってい...

 
 
 
節約は好きですか?節約についてどう思いますか?

節約は好きですか?節約についてどう思いますか?(後略)   テーマ募集フォーム からこのテーマをいただいて、久々に思い出した。僕は節約が大好きだったのだ。というより使命感を持って節約をしていた。  小学生の頃、進研ゼミをやっていた。毎月とても楽しく勉強ができる教材と、雑誌や...

 
 
 

Comments


© 2020 Sota Takahashi

​st

bottom of page