嫌な思い出
- Sota Takahashi
- 2022年8月10日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年8月11日
もしかしたらこの日記は、
読んでいる方に嫌なことを思い出させるかもしれません
時折会うすごく不思議な人たちというのがいる。”やたらとフランスの芸術映画ばかり見てアメリカ映画を馬鹿にする人”を、毛嫌いする人だ。こういう人が本当によくわからない。というのは、僕の知る限り「芸術映画ばかり見てアメリカ映画の大作を馬鹿にする人」というのに会ったことがない。みんな同じようにジャンルの隔たりなく見ている人たちばかりで、アメリカ映画を馬鹿にする人なんていない。というかみんなアメリカ映画が大好きだ。アメリカ映画が大好きだし、芸術映画(と言われる映画があるらしい)も大好きな人たちだ。だからフランスの芸術映画(こういう人は決まって芸術映画はフランス産だと決めつける)ばかりを見てアメリカ映画を馬鹿にする人というのは、何かの思い過ごしなのではないだろうか。それともそういう人に対して憧れがあるのだろうか。あるいはかつて自分がそうであったから嫌になったのだろうか…。
大学3年くらいに手伝いに入った小さな現場もそうだった。今思い出してもとても嫌な現場だった…。「どうせゴダールとかトリュフォーだとか言ってんだろ。学生が」って笑われて、なのに一切ギャラが支払われず、しかもスタッフが足りないから同級生を連れてこいと言われ、もう何もかも嫌だった。毎日怒られに行っているようだったし、馬鹿にされて、やたらとその人の武勇伝みたいなの聞かされて、意見を聞かれるから答えたら怒られて、嫌だったなぁ…。そして嫌な現場に友達を付き合わせてしまった自分も嫌だった。自分自身も嫌になってくる。酷い現場のまずいところはこういうところだ。自分の気持ちが根こそぎにされる。そうだ、あと書いておかねばならないのが、僕は一言もゴダールだとかトリュフォーだとか言ってない。全部これはその人の妄想だった。
僕はその人の妄想上の学生像を勝手に当てはめられて、好きだとも言っていないゴダールとかトリュフォーとか言っている人になっていた。そうなるともう、その人が何か文句を言いたいから文句を言われる、いわばサンドバッグになっていた。今思い出しても嫌な気持ちになる。これが映像業界なんだと思った。
思い出しついでにもう1つ嫌な現場があった。大学2年のとき、友人と一緒に「クリエイター交流会」なるところへ行って、そこで知り合った人が東日本大震災復興のためにチャリティー上映会をやろうという話があり、僕も1作品作ることとなった。そしたらなぜかその人が僕の作品をプロデュースしてやるという流れになり、脚本を見せてはダメ出しをされ、どんどんその人好みの作品になっていった。しかし予算はないので、これまた同級生に頭を下げて、人を集めて作った。編集してみたら今度「じゃあ音楽をつけよう」と言われ、音楽がないとだめだと言われ、全然そんな気なんてなかったのに音楽がつくこととなり、「どんな音楽がいいですかね?」と聞いたら「それは壮太のセンスだから口出しできない」とか訳のわからぬことを言われた。連日頭を抱えながら鬱々として、仕舞いに「おれをクレジットに入れるな」と言われて、なんだか全部僕が抱えることになった。そうしてできた映画は、ザ・学生映画というか、学生が頑張って作りました、みたいな映画になった。正しくは映画の真似事みたいな何かになった。
2人に共通していたのは「おれは映画のことを知っていて、知らない髙橋に映画の作り方を教えてやる」という態度だった。確かに僕は映画の作り方も社会の構造も知らなかった。だから騙された。みんな空想上の”やたらとフランスの芸術映画ばかり見てハリウッド大作を馬鹿にする人”を、つまりはいもしない誰かを嫌っていた。しかしそんな人はやっぱりいない。
そんな現場を経験して、僕はもう何もかも1人で作ろうと思うようになった。嫌な現場にしたくない一心で。それからしばらくして僕はやっぱり集団で作る映画に戻った。
書いていて嫌な気持ちになった。もうやめる。
けど、ふと思い返すと、僕自身そういうことを後輩にやってしまっていた気がする。あんなに嫌だったあの人たちと僕は一緒な気がする。いや、一緒なんだ。この前の現場だって、後輩に対して無下な態度を取ってしまった気がする。ああ、あの人と一緒だと思うところから始めなければ。僕は今、ヘラヘラしながらも抵抗している。ゴダールだとかトリュフォーだとか言っている。ゴダールとかトリュフォーとかが好きだったアメリカ映画も見ながら。
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