夏期オリエンテーション実習の撮影を終えて
- Sota Takahashi
- 2021年7月28日
- 読了時間: 11分
更新日:2024年10月9日
7月15-16日にかけて夏期オリエンテーション実習の撮影を行った。私にとってようやく監督できた1回目の実習である。
この実習は「藝大における映画制作の流れを習得することを目的」に作られた。
また、この実習は以下のような制約があった。
・映像尺は(冒頭と最後のクレジットを除く)本編5分以内
・脚本領域の書いた脚本を基に監督する
・脚本は以下の制約がある
→PCR検査を待っている男女2人の会話劇であること
→1階に建てられたセットと、屋上の、2シーンで構成されること
→未確認飛行物体が現れて2人は屋上に行くこと
これとは別に芸大で撮影するにあたって原則として以下の制約がある。
・撮影は1日最長で8時間(段取り開始から撮影終了まで、準備・撤収時間を除く)
・21時以降は撮影禁止
脚本は脚本領域4人がそれぞれ執筆し、監督領域4人がどの脚本にするのか選ぶという方式だった。
その中で私が選んだ脚本は、イベント会社の控室で待つ初対面の男女の話であり、終盤に未確認生物が現れ、屋上に行くと男性側がその生物に攫われるというものであった。
この実習で私は2つの挑戦をしようと決めた。
未確認生物に攫われる瞬間は1カットで、攫われる瞬間を映すこと
俳優の演出にあたり、イタリア式本読みを採用すること
この2つの挑戦について、撮影を終えての反省をこのブログで書いていく。
■未確認生物に攫われる瞬間は1カットで、攫われる瞬間を映すこと
未確認生物に攫われる瞬間はやはり絶対に1カットで撮らなくてはいけない。攫われる瞬間を目撃させたい。どんなにチャチなものでも良い。とにかく実際に攫われるその瞬間を映したい。これが私からの希望であった。きっと黒沢さんならどんな手を使ってもそうするだろう。それに、多分こういう挑戦はいかにも映画学校らしくてみんな楽しんでくれるんじゃないかなというスケベ心もあった。
まず書いておくと、この未確認生物はプテラノドン的な、空を飛ぶ恐竜のようなものだと理解してもらってかまいません。
私は昨年度1年間休学し、その間に『藝大の怪談』(廣原暁監督)の現場に行った。また、4-5月にかけて現2年生の冬季実習に助監督として2本参加した(チョウ・ギョク監督『知らない人』、廣原暁監督『ジャンケン』)。その経験から、この学校の撮影照明領域と美術領域の表現力と技術力を使えば、きっと攫われる瞬間を実際に画面に映すことは可能であろうとアタリをつけた。人物はマネキン、生物の足部分だけ美術で作成し、何某かの方法で高さを出し、上に上がるようにする。こうすればきっと攫われる瞬間を撮れるはずだ。
しかしこの構想は、今まで参加した芸大の現場で見たことがないほどに大掛かりな装置だったし、何より大きな問題があった。
芸大はこの撮影を許可するだろうか?
芸大で映画を作ることは難しい。危ない撮影にはすぐに待ったがかかるし、無許可で何かをすることはできない。芸大は金も出すが口も出す(当たり前だ)。
現に今回、他の班がやろうとして撮影当日に止められた演出はいくつかある。セット周辺に水を撒こうとしたこと(撒いた水の後処理の準備不足)。室内でスモークを焚こうとしたこと(火災報知器の作動)。階段に美術としてビニール袋をちぎって撒こうとしたこと(役者、スタッフが滑ることを危惧)。
…読んでいただいている方の中には、私だったらちゃんと許可を得てやるから大丈夫だと思う人がいるかもしれないが、非常に厄介なことに、この許可を得るのは監督ではなくプロデュース領域や美術領域、撮影照明領域の学生である。中にはこうした手続きを経ることに不慣れであったり、「これくらい大したことじゃないだろう」と思って許可を取らずにやろうとすることは本当によくある。
かくして危なそうな撮影は大体止められる。そして私がやろうとしていることは、かなり危ない。
そこで今回私がまず行ったことは、美術領域の磯見先生にかなり早い段階で相談した。「攫われる瞬間を映したいのですが、どうやったら撮れますか?」と。そこで磯見先生はイントレの上にハイスタンドを立て、垂木と滑車を使った装置を考案してくれた。しかも滑車は自身の会社にたくさんあるから無償で貸してくれると言ってくれた。これには助かった。なにせ滑車を買うとそれだけで予算が圧迫される。それくらいしか予算がなかったのだ。またそこで知ったアイデアは私を含めた学生だけではなかなか出てこないだろうものだった。そこから私は装置の図面を作成した。こういうものがないと最終的に信用してくれないのだ。
装置の設計はできた。次は本当にそれができるのかを確認しなければならない。撮影現場で「やっぱりできませんでした」となることも考えられるので。そのため次に相談したのは撮影照明領域の谷川先生と助手の方だ。イントレを管理しているのは撮影照明領域のため、両名に許可を得なければいけない。しかもイントレを組み立てるのは免許がいるので、撮影時にはどちらかに来ていただく必要があることもわかった。テストで実際に組み立ててみると、当初2段想定していたイントレは1段で済むことがわかったり、思ったよりイントレから離して人形を吊るすことはできないことがわかった。また組み立て時は作業するスタッフは全員革手袋着用するということや、注意点もいくつか伝えられた。
この際に、人形とイントレとの距離が短いのではないかという懸念から、もし画角にイントレや吊るす糸等、装置が映らざるを得ない場合、編集領域に合成で消してもらわなければならないので、編集担当とも話をすり合わせておいた。
撮影と仕掛けのテストは3回程度行われた。細かくみればもう少しあるはずだ。これにより、関わるメインのスタッフや、担当教員含め、かなり安心感を与えることができ、撮影をすることができた。しかしそれでも当日強風であったり雨天であったりすれば変更せざるを得ない。それに備えてBプランも準備していた。
そんなことを繰り返していると「髙橋はどうやら大掛かりな装置を作るらしい」という雰囲気がなんとなく学内に広まり、割と協力してくれるムードのようなものも醸成されていった。このことも非常に助かった。「なんか変なことやるんだって?」とか「莫迦な髙橋のやることだから仕方ない」と言ってきてくれる感じはすごくありがたかったし、なによりこういうコミュニケーションよって許可を得ることがスムーズにできた。
そんなことをしているうちに撮影日になった。芸大で撮影するにあたって「できそうだけれど難しそう」な撮影はこのようなプロセスでどうにか撮影にこぎつけた。

(実際の撮影の様子)
■俳優の演出にあたり、イタリア式本読みを採用すること
恥ずかしげもなく一度イタリア式本読みをやってみようじゃないか。それで失敗したらもうやらなければいいだけのことだ。
なぜ恥ずかしいのかといえば、今この演出をすれば濱口竜介監督のことを皆が自動的に意識してしまうからである。「髙橋は濱口みたいになりたいんだ」というレッテルを貼られるだろう。というか既にそう誤認している人はいるはずだ。そんなふうになれるとは微塵も思っていないのに。それでも一度やってみたいと思ったのには、理由がある。
先述の通り、芸大での撮影をいくつか経験したときに思ったのは、俳優に対してかける時間があまりにも少ないのではないかという問題意識があったからだ。
これは私の予想だけれど、おそらく黒沢さんの演出がかなり幅を利かせている。黒沢さんと言えば、本読みやリハーサルは一切なく、俳優は撮影当日に現場に来て撮影が行われる。この方法はそれはそれで良いのだろうけれど、俳優に安心感を与えるに足りないように思う。芸大での撮影風景を見ていると「今のはもっと優しい感じで」とか「もっと感情を込めてほしい」といった演技指導が入って俳優も「わかりました」と対応していく。そのときの俳優の姿は、私にはやや不安な表情をしているようにも見えた。
また、今回の脚本的にはオフビートな笑いの要素があるものだった。初対面の男女がいて、女性の方はややぶっきらぼうに人との距離感を詰めようとするも、男性は慎重な態度を示す。この2人の存在感を、今回初対面であり、初共演の俳優2名に求めるのはかなりリスキーな賭けである。リハーサルしすぎれば新鮮さは失われるだろう。
そこで、科白と動きは決まっていつつも感情を排した読みを繰り返すことで「いい声」を求め、俳優に安心感と勇気づけを行うイタリア式本読みは、現状知っている中で最適に思えた。
実践にあたり、俳優には衣装合わせ後の本読みの時間を13-18時までおさえてもらった。たかが5分尺の映画撮影にこんなに長時間付き合わせてしまうことに申し訳なさを感じないでもなかったし、学校関係者から「長くない?」と言われることもあったが、わがままを通してもらった。また、撮影前に更に1時間本読みの時間を入れた。これも学校関係者からの評判が悪く「こんなに長時間拘束するのは良くない」ということも言われた。確かにおっしゃる通りだと思う。「監督としてこういう研究をしたいので...」ということを言い訳に、プロデューサーも戦ってくれた。
本読みのプロセスは、まず私の自己紹介、大学院での研究テーマ、なぜ今回この方法をするのかを説明した。
次に5分程度の脚本を4分割し、各パートを感情を排して読んでもらった。その際には『ジャン・ルノワールの演技指導』というドキュメンタリー映画を参考にした。ジャン・ルノワールを完全に模倣するには私の性格と合わぬところがあるので、ある程度はアレンジを加えたけれど、やっていることは同じだ。そして脚本を読んでもらい「いい声」に出会えたと思ったタイミングで5〜10分程度の脚本を覚える時間を取り、その後対面してお互いを見つつ更に本読みを繰り返した。4分割したうちの1パートを約50分、その後10分程度の休憩を挟みつつ行なったのでこれで合計4時間。その後、一連を通して本読み。そして事前に脚本家に相談して書いてもらった「サブスクリプト」と「17の質問」を読んでもらった。「恥ずかしげもなく」イタリア式本読みをやると決めていたので、ここは『カメラの前で演じること』をそのまま引用した。どうせやるならこちらの恥は捨てる。ここが半端だとなんの挑戦にもならない。
事前に行なったのはこれくらいである。本当ならワークショップ形式で何かやってもらうこともするはずだけれど、時間の関係で行わなかった。今思えば何かすれば良かったかもしれない。より安心して俳優がカメラの前に立てるようになれたかもしれない。
また今回この方法をすることも事前に多くのスタッフや先生に伝えた。特に録音部には本番どの程度の声量なのかがわからないというリスクが想定されるので、入念に連絡した。下手をすると当日に「この方法はやめてくれ」と言われるかもしれない。
本番当日に行なったことも、ほぼ事前準備と一緒である。段取り、テスト段階でもこの感情を排した言葉で言ってもらった。
またセット撮影日には段取り前に5分程度、俳優が自由にセット内を歩き回る時間を取り入れた。これは前に助監督で参加した自主制作映画の現場で行なっていたことである。すごく良い取り組みだと思えたので導入した。
かくして撮影は行われた。短い時間ではあったが、私は俳優を信じた。俳優側はどうだっただろうか...不安はあれど楽しんでくれていたようには感じた。
実際にやってみて、カメラや照明の調整時間といった微妙な待ち時間にも「もう一回この部分を本読みしましょう」と言って演技をゼロ地点に戻すことができた。これによって、同じことをもう一回しようと思うより、より自由にさせることができたように思う。この点はすごく良かったように思う。
反省点としては、テイクを重ねるに連れて、演技も慣れてきたものになってしまったかもしれない。これは脚本の構成や、俳優への勇気づけが足りないせいに思える。どちらも私の責任である。またテイクを重ねたのは前述の装置を駆使したこともある。これは美術の仕掛けに不確定要素が多かったために起きた。美術との連携がちゃんとできていなかった。
そんなこんなで、先日から本格的なポスプロ期間に入った。全てがうまくいったわけではないことは自覚しているが、元々かなり制約の多い芸大撮影の中で、スタッフはかなりの労力を使って撮影に備えてくれた。頭が下がる思いだ。
...ちなみに、完パケ日程も決まっているけれど、外部に向けて発表する機会は無い。最初に書いたことを繰り返すと「藝大における映画制作の流れを習得することを目的」としているためだ。
いつかどこかで上映することができれば良いなと思っているけれど。
8月9日(月)追記
8月7日(土)に、濱口監督と直接話す機会をもらえ、イタリア式本読みについての相談をした。濱口監督曰く、しっかりと本読みができているならば、テイクを重ねても新鮮さが減衰することはないとのことだった。つまり、僕の本読みはやはりまだ足りていなかった。しかしそのときの話から次回に生かせる手がかりを得ることができた。次回以降反映していきたい。
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