均等にリスペクトを払うために
- Sota Takahashi
- 2021年5月31日
- 読了時間: 4分
10年以上前のこと。僕が大学生で自主映画の撮影が終わり、打ち上げに行ったときのことだ。そこには学外から呼んだ俳優もいた。そのお会計のときに、打ち上げを主催した監督が「スタッフは〇〇〇〇円で、俳優さんは(それよりはるかに少ない金額)円ください」と言った。僕はこのことにかなり腹が立った。かなり前の話なのに今もこうして思い出すくらいなのだから相当腹が立ったのだろう。これはあまりにも俳優に対して優遇が過ぎるのではないかと思ったし、同時に、心意気のみで(つまりはノーギャラで)働いた我々スタッフに対してあまりにもリスペクトが無いじゃないかと思ったのだ。
そこから僕は、俳優を優遇するような現場を酷く嫌うようになった。彼らも対等にスタッフとして映画作りに関わっているのになぜ特別扱いをされるのか。集合時間は遅く、出迎えがあり、なぜか仕事が終わると花束なんかを渡される。それっておかしくないか!?そこから僕は自主制作する際は、スタッフは僕一人で、他は役者という状況の中、映画作りができないかと試した。そのときの理想は小劇団みたいな、役者も含めてチームという状況を目指していた。小劇団の人たちは俳優含めて舞台セットをトンカチ片手に組み立てていく。ああいうのに憧れた。そんなことをしながら多くの失敗を経験させてもらったが、役者との距離ははるかに近い状況にはなれた気がする。
しかしこのチーム作りは間違っていた。理由は、書かずもがなだけれど...俳優は俳優で大変だということに無頓着だった。僕の知らないところで、科白を覚えたり、動きを確認したり、ときには友達に演技を見てもらって良いパフォーマンスができるように調整している。スタッフの数が減るということは、その分俳優に他の部署の分の仕事もしてもらわなければならない。僕は俳優へのリスペクトをしすぎていた現場を嫌っていたが、今度は俳優へのリスペクトが無さすぎる現場を自分で作ってしまっていた。
俳優達へのリスペクトが過ぎた現場は嫌だが、しかし相応のリスペクトを払っていきたい。どうすれば良かったのか。考えた末に、僕は監督という立場で(それはつまり現場にいる全ての人の上司となる立場で)気付けていなかった最大の問題は、”仕事をちゃんと振れていなかった”ことにあると思う。例えば撮影部には「〇〇日にロケハンに行くので一緒に来てレンズを確認しましょう」とか、美術部へは「このシーンで使用する〇〇という小道具を〇〇日までに準備してください」とか、仕事を振っている。それと同程度の質で俳優達へ仕事を振れていない。脚本を渡して「あなたの科白はこれです。撮影までに覚えてきてください。」程度のことしか言えていない。俳優はそれでは非常に大きな不安を抱えたまま現場に来ることになる。俳優という仕事の非常に大きなリスクは、演技の良し悪しを判断するのは自分ではないということだ。どれだけ俳優が準備してこようとも、監督が「そうじゃない」と言えばたちどころに行き場を失う。だから俳優達には他の部署と同程度に撮影に向けて整えていく作業が必要なのだ。
可能であれば「〇日までに科白のここまで覚えてきてください。覚えてくるだけで感情は作らなくて大丈夫です。その日にその分の読み合わせを行って他の役者と一緒に気持ちを探っていきましょう。」と、例えば言うべきだ。仕事の期限を設け、クオリティを提示し、次のステップを見せる。
今のところ自主映画を作っている身としては、俳優部を他の部署と同程度に大切に扱うチーム作りをしていきたいと思っているので、上記のように適切に仕事を振っていきたい。それが差し当たって各部署と同程度の俳優へのリスペクトの払い方ではないか。
そういえば僕は大学も映画専攻で、今大学院にまで行って映画を作っているけれど、こういうことを教えてはもらえなかった。漠然と映画を作るためには情熱を持って取り組むことが大事だというスローガンの元に、たくさん失敗して学べば良いというやり方で作っていったし、それが良いとされていた。その結果独自の演出技法が出れば良いのかもしれないが、俳優を何か特別な人たちにしてしまう。冒頭に書いたような打ち上げ料金に差をつけることをしてしまう場合もある。またその逆に、僕みたいに優遇を嫌うために間違った方向に行って、多くの莫迦みたいな失敗をたくさんすることになる。教えてほしかった!...それとも、もしかしてまだリスペクトが均等に払われた現場の”作り方”がないのだろうか。
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