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佐々木想監督『鈴木さん』

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2022年7月2日
  • 読了時間: 1分

監督の過去作をいくつか見たことがある私にとって『鈴木さん』は久々に”佐々木想調”を見ることができた感動の想いで一杯だ。施設から自転車で走り出すいとうあさこを見て、ああ、佐々木想映画とはこういう感触であったのだということを再認識する。

私にとって佐々木想映画とは、一言で言えば、周囲の環境に適応できなくなった人物がその不可能性の壁を前に逃走線を描出すべく疾走する映画だ。

結婚を強いられつつもしたくないいとうあさこは自転車を走らせ、いとうあさこを救えないカミサマ佃典彦もまた自転車を走らせる。そしてこのかろうじて見出した逃走線もまた国策の壁にぶつかる。

『隕石とインポテンツ』は取り急ぎのハッピーエンドを見出したかに思えるが、子供の血筋をめぐる闘争を前にした休戦中にすぎない。

『サトウくん』は銭湯で不気味な大人達に囲まれた。

この休戦によってでしか物語を終わらせることができない世界に対して、ひっそりと佐々木想監督は、絶望と闘争(逃走)を、革命に至るまで続けている。


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