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今夏の思い出

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2025年12月24日
  • 読了時間: 4分

 今夏、長野県の木曽で滞在した中で最も思い出深いのはmicciさんとの出会いだった。micciさんは木曽の山中で旅館を経営している一児の母である。息子のnaggieは10歳の少年。naggieはわんぱくで、虫が好きで、虫が嫌いな僕にたくさんのアブがとまっている掌を見せてくれる。「ねえママ!」と度々micciさんを呼んで一緒に遊んでほしいとせびる。

 10歳くらいの子供はすごい。仕事柄子供達と一緒に映画作りのワークショップをしているからわかる。子供というのは本当に体力が有り余ってしかたがないのだ。じっとしていることは難しく、すぐにどこかに駆け出して体をいっぱい使って遊ぶ。寝ている間に溜まった体力を全て使い切らんとばかりに、スポーツをしたり遊びをしたり、走り回る。それが子供というものだし、それが男の子というものだ。僕もそうだった。naggieもまた御多分に洩れず体をよく動かしていた。

 僕はときどき、もし自分に子供がいて、僕のような子供を育てることがあったらほとほと疲れ果ててしまうだろうと思う。自分の子供だから愛していることには違いなかろうが、ずっと一緒にいると疲れてしまうだろうし、一人の時間もほしくなるだろう。親戚の子供のように時々会って遊ぶ程度ならまだしも、毎日一緒にいていつでも優しそうな目で我が子を見つめていられるだろうかと考えると、ときには鬱陶しいなという気持ちになってしまうだろう。

 micciさんも時々、とても疲れてそうな顔をしていた。そんなときに「naggieがいるから大変でしょう」と誰かが聞いた。「ねぇ、もう本当。忙しくて大変よ」なんて言うのかなと思った。僕ならそう言うだろうし、そう言う大人をたくさん見てきた。「大変なんて思ったことないわ」とmicciさんが、そんなこと当然でしょうといった感じで言ったとき、だからとても感動してしまった。


 母の口癖は「役立たず」であった。子供の頃を思い出してみると彼女から、褒められたことも、感謝されたことも大してない。子供というのは母親の役に立ってあたりまえなのであって、役に立たないときは怒る。あるいはその判断基準とは全く別にストレスがたまると感情的に怒る。そういう母であった。と書くと、最近の言葉でいう「親ガチャ失敗」と思われるかもしれないが、そうではない。僕がわんぱく坊主だったのだ。だから疲れた目をしたし、子育てにうんざりしたような顔をしていた。今はまあ事情もわかる。親というのは子育てに相応しい人がなるのではなく、子供ができたら親になるのだ。彼女が子育て本とかも読んだかどうかは知らないが、こういう母親になりたいという理想像はあっただろう。しかし現実とのギャップのなかで、その都度正解があるわけでもない問題に常に向き合っていかねばならない。さすがに「産まれてこなければよかった」と言われたときは傷ついたが、彼女なりに大変だったことは理解できる。「大変でしょう」と聞かれたら「もう大変よ」なんて言って深いため息をついただろう。それは心からの言葉であったろう。もしかしたらそういう言葉を僕は聞いたかもしれない。今この文章を自分で書いていて耳馴染みがあるというか、全く違和感がない。


 親なんていうのはそういうものであったし、それが当然だと思っていた僕は、micciさんの「大変なんて思ったことないわ」という言葉との、思いもよらない衝突事故にひっくり返りそうになった。心の中では三回転にひねりを加えてウルトラCレベルのひっくり返りをしていた。

 その言葉の中には実際の心情ではなく「『大変』だなんて思いたくない」という自分の理性との葛藤もあったのかもしれないが、そう思っていてくれているだけでもnaggieは幸せ者じゃないか。


 実はmicciさんとnaggieには木曽で撮った映画に出演してもらったのだが、micciさんと打ち合わせすべくmicciさんの旅館に行くと、naggieとキノコ狩りに行っているから待っていてほしいと言われた。是非行ってくれと思ったし、打ち合わせなんてやらなくてもいいかとも思った。待っている間、naggieがいかに幸せ者か自分自身で気づくのはいつだろうかと考えた。いつでもいいのだが、いつか絶対に気づくときがくるだろう。子育て経験はまだなく、”子育てられ経験”しかないのだが、僕にはわかる。

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