上飯田である必要性について
- Sota Takahashi
- 2023年7月22日
- 読了時間: 4分
拙作『上飯田の話』で時折聞かれるのが「なぜ上飯田なのか」ということだ。そういうときに僕は口でうまく説明ができず「祖父母が昔住んでいた町で」とか「一目見てここで撮りたいと直感的に思った」とか答えている。けれど、多分聞いた人が知りたいのはそういうことじゃないことはわかっている。「物語的にこの場所でなければならなかったのはなぜか」ということを本当は聞きたがっている。そして、なぜそう聞くのかというと、その必要性が見てもわからないからだ。上飯田ではなくてもよかったのではないか?なぜ上飯田でなければならなかったのか?こういうことを聞きたいのだと思う。…そして、まあ、僕からはちょっと書きづらいけれども、物語的な必要性を聞くということは、物語を楽しめなかったということで、そうした物語を期待した方々にとっては、映画をおもしろがれなかったということでもある。が、一旦このことはふれないでおく。
「なぜ上飯田なのか」ということについて、今後聞かれたときに備えて、書いておきたい。
まずズバリ答えてしまうと、物語的に上飯田である必要性はない。映画を見てくれた方ならわかるだろう。この映画は別に同じ脚本さえあれば、どこの町でも実現可能だ。もしかしたらあなたの町でも起きるかもしれない。僕にとってはそれは上飯田で起きた。それだけのことだ。残念なことにそこにわかりやすい必然性はないし、メッセージもない。ただ僕にとって身近であった。だから「なぜ上飯田なのずか」という質問はナンセンスな質問だ。僕はたまたま上飯田が地元の母から生まれた。それだけのことだ。
ただ、それは物語的に上飯田である必要性がないということにすぎず、映画的な問題としては別だ。よければ脚本を渡すので皆さんも身近な町で撮ってみてほしい。絶対に『上飯田の話』のようにはならない。その「このようにはならなかった」ということが上飯田である必要性だ。同じ脚本を、荻窪で撮ることも、大阪で撮ることも、もっといえばセットを建てて撮ることもできる。だけど何一つとして「このようにはならない」。
たとえばメインのロケ地の一つである上飯田公園が別の公園だったら、人々の導線は違うものになっただろう。そうするとカメラを置く位置が変わる。そうすると演技が変わる。被写体との距離感が変わる。映り込む人たちが変わる。聞こえてくる音も変わるだろう。そんな画面を見ている私たちの印象は『上飯田の話』のようにはならない。
似たようなことは色々なことにいえる。よく仕事のプロジェクトとかで「誰一人欠けていたらこのプロジェクトは完成しなかった」という人がいる。嘘八百である。誰かが別の人であっても完成はした。ただそのようにはならなかった、というだけのことにすぎない。違うかたちで実現はしていただろう。とても冷たいことをいっているように聞こえるだろうか。
『上飯田の話』だって僕が監督をする必要は全くない。あのような映画はできたであろう。ただ”この『上飯田の話』”にはならなかった。別のものになった。撮影が小菅でなくても、録音が河城さんじゃなくても、助監督がリコさんじゃなくても、『上飯田の話』は作ることができる。ただ別のものになってしまう。だからこそ、”この『上飯田の話』”が大切だ。そういう意味では、この映画は上飯田で撮られなければならなかった必要性がある。
ところで上飯田という町は様々な問題を抱える場所でもある。高齢化が進み、過疎化も進み、団地を始めとした建物の老朽化も止められない。そこから現代日本の抱える社会問題を語ることもできただろう。しかし同時に物語的な必要性やメッセージを発するということはその町をある意味で利用するということでもある。僕はこの映画ではそんな利用の仕方をしたくなかったし、幼少期から知っているあの町のそういった側面は知らなかった。知らないことを映したいとも思わなかった。
上飯田映画の2作目『移動する記憶装置展』は、もう少し高齢化・過疎化の問題を扱った映画だ。それは僕が大人になって上飯田という町に向き合ったときに知ったことを映している。ただ、多分また「なぜ上飯田なのか」と聞かれるだろう映画になっている気がする。上に書いたような説明をする時間がないとき、僕はたぶん明後日の方向を見ながらまたわかりやすい説明をすべく悩んでいるはずだ。そういうときはそっと助け舟を出してもらえると嬉しいです。
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