ブルーハーツを聞かなくなった
- Sota Takahashi
- 3月17日
- 読了時間: 4分
あんなに好きだったブルーハーツを聞かなくなったのはどうしてだろう。先日会った大学生がブルーハーツのTシャツを着ていて、聞いたらヒロトとマーシーが大好きなのだと言う。僕も大好きだった。中学生から高校生にかけて、正規に発表されている音源だけでなく、ブルーハーツの未発表曲や未発表のライブ音源、ヒロトとマーシーの前のバンドの音源をネットで漁りまくった。ヒロトの歩き方を真似た。曲は毎日聞いた。ギターもバンドスコアも持っている。写真集もあるぞ。今でもほとんどの曲を歌えるだろう。けど今は聞くとすこし恥ずかしい気持ちになる。
ブルーハーツは反発していた。日頃の抑圧を全て発散してやろうとばかりに「リンダ」と叫んだり、「終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため」「生まれたところや皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」とうたっていた。
なんだか大人が決めたルールを破っているみたいだ。「ジョーシキなんておれには通用しないんだぜ!」そういうイタズラになんでも反抗してみることがかっこいいと思っていた時期に僕はブルーハーツにはまっていた。そして、同時に困った問題が起こった。
そうはいっても僕は別に貧乏なわけでもないし、いじめられているわけでもないし、苦しめられているわけでもない。高校時代はオーストラリアに留学していたのだけど、オーストラリアでも日本人だからといって差別されたこともない。僕はなーんにも抑圧されていなかった。僕の周りの世界は全然クソッタレではなかった。反発したいという衝動はあるのに反発するものはない。それなのに大人がつくったルールとか、敷かれたレールなんて歩きたくねぇんだよ、みたいな態度をとりたかった。
そこでとても間抜けな事態が起こる。生きづらい人生であってくれ、理不尽な思いをさせてくれ、と思うのだ。大人よどうか目の前にレールを敷いてくれ!そうしてくれれば、僕も声高に正義を叫ぶことができる。世の中の理不尽にたてつくことができる。誰かにやめろといわれても己の正義を貫くことができる。それはかっこいいことだし、ロックンロールであった。まったくもって倒錯的で馬鹿馬鹿しい考えだけれど…心のずっと奥の方で考えてしまうそんな気持ちわかるでしょう?
大学で東京造形大学の映画専攻に入った。美術大学なので何かを表現しなければならない。僕は表現したいと思えるような衝動がないことに困った。なにか衝動を得たいと思った。それはつまり被害者でありたいということだった。僕はなんの被害者なんだろうか。考えてみてもなんの被害も被っていなかった。日々飲む酒の料金はかさんだが、払えない額ではなかったし、払えない額を請求されるような店に行くことにも興味がなかった。ギャンブルもやらず、実家暮らしだから家賃を切り詰める必要もない。なーんにも表現したいものがない。別に何かに大きく困っているわけでもなく、生きてはいける。明確に文句を言われているのは政治家達で、政治家というのはどちらかというとロックンローラーからも文句を言われていてカッコ悪い。
「どこかで誰かが泣いて 涙がたくさんでた」とブルーハーツはうたったが、僕はどこで誰が泣いているのかわからなかった。のんべんたらりんと日常を過ごした。
当時よく聞いていた「伊集院光 深夜の馬鹿力」というラジオ番組のある回で、伊集院光がそんな様子をギャグとしてかなり的確に表現していた。
「高校中退しないとロックンローラーになれねぇんだよぉ!」
番組の構成スタッフである渡辺くんの笑い声がラジオ音源から聞こえた。僕も笑った。反発するために抑圧されたい僕の心を言い当てていた。それくらいの頃に、いろんなことを諦めた。自分は反発したかっただけだということにも気づいたし、何か伝えたいことがあって作品制作に向かうことは性に合わないことにも気づいた。その上でなにをしようかと、あまり焦らずに考えようと思った。ブルーハーツは聞かなくなっていった。
多分、ヒロトとマーシーが戦おうとしていたモノは時代とともに大した問題ではなくなったのだ。それなのにまだ戦うべきモノはそこにあると信じて同じことをやっても、戦うべき何かはもうなくなっていて、ただカッコつけたいだけの人たちが群がっていた。僕はその群がる人たちの一人だった。
僕にとってのブルーハーツは昔のどうしようもない青臭さとリンクする。思い出すと痛々しい自分を思い出してウッとなる。だから聞いていなかったのだが、ブルーハーツのTシャツを着ていた彼を見て、久々にアルバムを聞いた。ウッとなる曲とならない曲があった。ならない方の曲は若いときに「なんかグッとこない歌だな」と思っていたやつだった。

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