セルビア北部の街スボティツァへ 20190620
- Sota Takahashi
- 2020年9月20日
- 読了時間: 4分
下記記事は2019年6月20日にこちらで公開したもののBUです。
6月17日から私はセルビアという国に来ている。
こう話すと多くの方はまず「セルビアってどこ?」という質問と「なんでセルビアへ?」という質問をしてくる。
場所については検索してもらうとして、なんでセルビアなのかということをまず書いておきたいと思う。
なぜセルビアなのか

一言で言えば「ここでなら映画が撮れるかもしれない」と思ったからだ。
そもそもセルビア自体には正直大した関心はなかった。「ヨーロッパの火薬庫」であるバルカン半島であることしか知らなかった。私が初めてここを訪れたのは2013年の春。当時半年間のイギリス留学をほぼ終えて、学期間の休暇に入っていたときに単身バックパック旅行をした。イタリアのヴェネチアからブルガリアのソフィアに抜けてまたイギリスに戻るというルートだ。
そのときに立ち寄ったのがセルビアである。
途中スロベニアやハンガリー、クロアチアにも寄った。要は英語が通じない地域を旅してみたかったのだ。
そこでたまたま、道筋にあったというだけで寄ったのがセルビアとハンガリーの国境近くにあるスボティツァという街である。来てみてわかった。
・・・何もない。
アジア人は数えるくらいしか見ていないし、賑やかではあるものの旅行客向けの賑やかさではなかった。正直困ったのだが、とりあえず駅前にあった(今はもうない)バーに寄ってビールを飲むことにした。客は誰もいない。入って15人程度の店だったのだが、私一人だった。
暇でしょうがないからそこでバーテンとして働いていた女性と話すことにした。彼女はアンナ。おそらく今後よく出てくることになるだろう。彼女は英語を話すことができたので、拙いながらも少し話をしていた。するとしばらくして彼女は「もうすぐしたら友達が来る」と話し、またしばらくしたらその友人(男性)が入ってきた。その男性も若干英語を話すことができたので、私たちは少しばかりジェネラルな話をしていた。
そんなことをしていたら二人が私に「明日近くの湖にピクニックに行くけど来ないか?」と誘ってきた。ただ立ち寄ったこの街で何もすることがなかった私は即座に「行く!」と答えた。
そして着いたのがPalić Lake(パリチ湖)である。これがとんでもなく綺麗な湖だった。一般的にヨーロッパの湖といえばオーストリアのハルシュタットのような山々に囲まれたものを想像するかもしれないが、ここはただただ平野。その中に湖がある。
そこで昨日知り合ったばかりの友人2人、そしてさっき会ったばかりの彼女の友達3人とタバコをプカプカ吸いながら、パプリカーシュというバルカン半島の料理を食べたのだった。
この旅の間、一人で寂しく旅行していた私にとって彼らと出会えたことはかけがえのない体験であった。
例えばパリに行けば他者には話しかけづらい雰囲気があり、現地の人たちと友達になれることなんてできっこなかった。にもかかわらず、ここの人たちは昨日会ったばかりの私となぜか一緒にタバコを吸ってパプリカーシュを食べている!
この人柄にまず惚れこみ、それ以降2016年、2019年(今回)とスボティツァには3回来ている。ちなみに毎回アンナには会っている。
共犯的に映画を作る

私は昨年から合計3本の映画を作っている。
「近未来は誰たちのものだ」「パパの腰は重い」「そうなるようになった」の3本だ。そして徐々に映画作りの方法が変わってきていることを実感している。それは映画作りにおける共犯性についてである。
特に「パパの腰は重い」からが顕著だが、登場人物たちとどういう映画を作っていくかから相談しながら映画作りを進めている。時には撮った映像を一緒に見ながら考えている。さながら「極北のナヌーク」でロバート・フラハティがやったようなことをしている。
そうすることで制作の現場から監督の特権的な立ち位置を引き摺り下ろしたいと思っている。作る私自身が考えもしなかったような映画を作っていきたいと思っている。
そのためには監督と役者という関係ではできない。だから私は「パパの腰は重い」「そうなるようになった」で家族に出演してもらっている。
どちらも個人的にはそれなりに成果があるものが出来上がったと思っている。
そしてそれをさらに拡大していきたいと思った。一体誰とこうした映画作りをしていくことが、今の自分にとって一番スリリングで、挑戦的で、その掛け金に対するリターンを期待できるのか、そう考えた時にスボティツァにいる人たちと撮りたいと思った。僕が初めて会った時のような関係で、映画作りを基本的なところから考えられることはできないか。幸いアンナを始め、私には数人の友達もいる。
そして幸いなことに私には今仕事がなく、自由にどこにでも行けるという環境もあった。
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