top of page

エッセイを書く

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2025年2月5日
  • 読了時間: 5分

更新日:2025年2月9日

 僕は人にがっかりされることが多い。その一つを紹介する。

 自分でいうのもなんだが、僕は”本を読みそうな顔”をしている。ヒョロッとした不健康体型に丸メガネ面だからだろうか、読書好きなように思われることが多いのだ。しかし実際は全然読まない。このイメージで得をすることもたまにはあるが、それは大抵相手が「本を読みそうだ」と勘違いしてくれるから起こる。しばらく経つと損することがほとんどだ。頭良さそうな見た目をしていて、話してみたらバカというのがどうやらがっかりさせる決め手らしい。そちらが勝手にレッテルを貼っておいて、勝手にがっかりされるのだから僕もたまったものではないのだが、しょうがない。そういう見た目なのだ。

 特に小説を読まない。長いから集中力が続かない。村上春樹も短編集だけ読んだことがある。宮部みゆきも東野圭吾も読んだことがない。星新一は好きで読んでいた。短いから。詩や俳句や短歌も時々読む。短いから。

 そんな僕だけれどエッセイは好んで読んでいる。もちろん短いから、というのも理由の一つだが、もともと小話好きのラジオ好きであるから、実際に起こったエピソードが書かれているのがどうやら性に合っているらしい。向田邦子にさくらももこ、伊集院光、藤原正彦、林真理子、バラバラだが色々読んでいる。ちなみに星新一のエッセイも大好きだ。


 僕は読書感想文を書くのが苦手な子供だった。どう書けばいいのかわからなかったからだ。なんで先生達は「思ったことを書けばいい」という言葉を残して夏休みに突入させたのだろう。ライオンだって子ライオンを野に放り出して「餌を取って来い」とは言わないだろう。まずは手本を見せる。同じように「例えばこういう文」という例を見せてほしかった。同い年くらいの優秀な読書感想文を読ませてくれたら書きやすかった。僕はどちらかというと「自由にやってごらん」といって伸び伸びできるタイプではなく「こういう感じでやってごらん」と言われて伸びるタイプなのだ。日本人らしく守破離の精神でまずはいかせていただきたかった。

 そんな性格なもので、エッセイを読んでいるうちに「なるほどこういう感じか」というのがわかってきて、いよいよ自分で書いてみたくなった。エッセイを読むのが好きなだけでは飽き足らず、書きたくなってしまったのだ。調子に乗った僕は昨年作った「2025年にやりたいこと100」の中の一つに「エッセイの連載をもつ」というものを入れた。きっと僕の映画作りにも生きてくるはずだ。こんなWin-Winな関係はあるまい。

 ところがエッセイの連載というのは一体どうやって持つことができるのか皆目検討がつかない。BRUTUSとかの連載ってどうやって依頼がくるのだろう?既になにかの分野で売れていたり成功したりしている人が雑誌社の人から「どうですか、うちでエッセイ書いてみませんか?」とか言われるのだろうか。それなら、残念ながら僕に連絡はきそうにない。ほんのちょびっとだけ世に出たが、まだ僕のことなんて誰も知らない。全く売れていない人に依頼なんてくるわけないのだ。と、いうことで自分でエッセイを書くことにした。定期的に続けていくことにする。字数は2000字くらいかな。林真理子さんの「ルンルンを買っておうちに帰ろう」が大体一つ2000字くらいだったから。月に2本くらいアップしていけば書いていくためのいいトレーニングにもなる気がする。

 何について書こうか。放っておくと映画に関する内容が多くなるだろう。だけどそれだけじゃおもしろくないので広くテーマを募集します。無記名でも大丈夫な仕様にしてあるのでお気軽に書いてください。そのことについて考えます。


 僕は人にがっかりされることが多い。「あいつ、エッセイ書くとかのたまっていたくせに三日坊主でやんの」なんて言われかねない。

 だけど自分ではわかっている。凡事徹底することについては得意であるから、エッセイを書くということが日常化していけば必ず続くのだ。僕のInstagramを見てみればわかってもらえると思う。ペペロンチーノの画像ばかりが出てくる。Instagramというものを始めたとき、僕はこのSNSの使い方が正直わからなかった。もともとTwitterを使っていたから、写真がなければ文章も投稿できないInstagramは、いってみればTwitterの劣化版ではないかと思っていた。ただInstagramgが連絡手段として機能している部分もあり、アカウントを作らなければならないから始めただけだ。せっかくだからと毎日作るペペロンチーノの画像をあげ始めた。そしたらもうそれ以外投稿できなくなってしまった。続けていたら人からイジってもらえる話題となってしまった。そうなるともう他の写真をあげられない。最近はInstagramにあげるためにペペロンチーノを作っている。白状する。もうやめたい。というか自分の映画の宣伝に使いたい。雄大な自然とか、友達と充実した毎日の写真もあげたい。だけどもうペペロンチーノ以外の投稿が”自分ルール”としてできなくなってしまったのだ。だから続けている。それくらいに凡事徹底できる人ではあるから、続けられるだろう。


 このブログ欄には以前書いたエッセイがある。そのまま残すことにした。エッセイ、というかただ書きなぐったような文章で、人に読ませるものというよりも自分の頭の中をスッキリさせるために書いていた。だからSNS等では特に宣伝をしていなかったけれど、今回から発信もしてみる。心機一転、気持ちを新たに書き始めよう。あ、執筆・連載の依頼はいつでも待ってます。

最新記事

すべて表示
評論はどんどん書かれるべきだ

侯孝賢は語る。「創作者には、自分の映画制作を振り返って、そこに働いている原理やプロセス、とりわけその原理を語ることはできません。ですから私は、自分の映画について人が書いた評論は見ないのです。相当時間が経って、たまたまふと目にすることがあると、ああ、当時彼らはこんなふうに書いていたのか、などと思います。そしてたいていの場合、それらはまったく当たっていない。研究やら論文やらに書かれたことはほとんど的が

 
 
 
ブルーハーツを聞かなくなった

あんなに好きだったブルーハーツを聞かなくなったのはどうしてだろう。先日会った大学生がブルーハーツのTシャツを着ていて、聞いたらヒロトとマーシーが大好きなのだと言う。僕も大好きだった。中学生から高校生にかけて、正規に発表されている音源だけでなく、ブルーハーツの未発表曲や未発表のライブ音源、ヒロトとマーシーの前のバンドの音源をネットで漁りまくった。ヒロトの歩き方を真似た。曲は毎日聞いた。ギターもバンド

 
 
 
連続ワークショップ「生活を(に)映画に(を)」

2月16〜18日にかけて、東京造形大学のCSLABにてワークショップを行った。ことの発端は現在の映画・映像専攻の1年生が何かワークショップ的なものを企画することとなり、自分の悩みや状況を五十嵐耕平准教授に相談したところ、僕を勧めてくれて話がきた、という流れだ。この記事が載っているホームページの問い合わせフォームからの連絡であった。  しかしなんで僕に…。ワークショップなんてやったことがないし、何を

 
 
 

コメント


© 2020 Sota Takahashi

​st

bottom of page