top of page

〇〇は映画ではない

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2020年9月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年9月20日

「一度でも映画館に行ったことのある人なら、映画とは何であるかを直感的に理解しているはずだ。そう、あれのことなのだ。」黒沢清


 自作を作るためのトレーニングとしてエッセイを書いていこうと思う。きっと「映画とは何か」ということについて書くことになるが、それは肯定的な言葉で、つまり「映画とは〇〇だ」と書くことではない。そんなこと誰しもが書けないのだ。ここで私が試みてみたいことは「〇〇は映画ではない」と否定的に書くことだ。これなら私にもなんとか書けそうで、そして誰の役にも立ちそうにない。


 否定的に書くことは役に立たない情報を書くことだ。「ペペロンチーノを美味しくする方法は何か」ということを考えているときに「コーヒーを使うことではありません」と言われても何の役にも立たない。人が求めるのは「オリーブオイルは〇〇というブランドを使いましょう」とか「だしの素を使いましょう」といった肯定文である。これから書かれようとしている文章は「映画とは何か」ということの周縁をめぐる文章になるが、その答えを知ろうと期待しても何の役にも立たないことになるだろう。しかし映画が何かの役に立ったためしがあっただろうか?


 誰の役にも立たないことはすごく重要なことのはずだ。私たちが映画を見て楽しいのは何かに役立つ情報を得たからではない。そういった目的で見ているのではなく、見ることと聞くことの享楽によるものだ。


 映画とは何ではないのか。これは私のためのエッセイであり、私の指針になってほしい。


最新記事

すべて表示
評論はどんどん書かれるべきだ

侯孝賢は語る。「創作者には、自分の映画制作を振り返って、そこに働いている原理やプロセス、とりわけその原理を語ることはできません。ですから私は、自分の映画について人が書いた評論は見ないのです。相当時間が経って、たまたまふと目にすることがあると、ああ、当時彼らはこんなふうに書いていたのか、などと思います。そしてたいていの場合、それらはまったく当たっていない。研究やら論文やらに書かれたことはほとんど的が

 
 
 
ブルーハーツを聞かなくなった

あんなに好きだったブルーハーツを聞かなくなったのはどうしてだろう。先日会った大学生がブルーハーツのTシャツを着ていて、聞いたらヒロトとマーシーが大好きなのだと言う。僕も大好きだった。中学生から高校生にかけて、正規に発表されている音源だけでなく、ブルーハーツの未発表曲や未発表のライブ音源、ヒロトとマーシーの前のバンドの音源をネットで漁りまくった。ヒロトの歩き方を真似た。曲は毎日聞いた。ギターもバンド

 
 
 
連続ワークショップ「生活を(に)映画に(を)」

2月16〜18日にかけて、東京造形大学のCSLABにてワークショップを行った。ことの発端は現在の映画・映像専攻の1年生が何かワークショップ的なものを企画することとなり、自分の悩みや状況を五十嵐耕平准教授に相談したところ、僕を勧めてくれて話がきた、という流れだ。この記事が載っているホームページの問い合わせフォームからの連絡であった。  しかしなんで僕に…。ワークショップなんてやったことがないし、何を

 
 
 

コメント


© 2020 Sota Takahashi

​st

bottom of page