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〇〇と〇〇は同じということ

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2022年7月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年6月23日

 イチゴは赤い、東京タワーも赤い、京急線の車体も赤い。だからこれらは全部「赤いもの」っていう同じグループに入れよう。


 僕はとても単純に言えばこういうことを言っている。たったこれだけのこと。とっても簡単な話だと僕は思う。けど、通じない人たちがいる。「イチゴは食べられるでしょ。食べられるってことは別のグループね。」と言ってくる。いやいやいやいや、そんなこと知っているよ!と言ってみても何も通じない。とにかくイチゴは別のグループに入れたくて仕方がないのだ。イチゴを守りたいのか、あるいは他のものたちをイチゴではないと思いたいのかもしれない。丁寧に説明することもできるけれど、そういう人はもう感情的になっていて聞く態度ではない。論理的な考えを持てていない。しょうがないのでとりあえず「うん、まあそうだね」とか「いつかわかるときが来るといいな」なんて言ってみる。言葉が通じないから、もう何を言ってもしょうがないんだ。


 映画批評家の廣瀬純さんがとっても面白いことを言っている。

 廣瀬純さんは龍谷大学で「料理の比較解剖学」という授業をしていた。そこでは「すべての美味しい料理には『骨付き肉』の構造がある」という話をされていた。その授業中、スクリーンに焼き鳥が表示されていて、そのとなりにキリストの磔刑図が表示されていた。どちらも同じ「骨付き肉」の構造があるというわけだ。その授業後、ある生徒から抗議のメールをもらったらしい。曰く「キリスト教でとても神聖なものとされている磔絵の横に焼き鳥の写真を置く」ことが、キリスト教を「冒涜しているとしか思えない」というのだ。

 それに対して廣瀬純さんはこう言っている。キリスト教を「冒涜しているとしか思えない」と言うとき、そうした考え方は逆に「焼き鳥」という料理を「冒涜する」ものとなっていると。「焼き鳥」は「磔刑図」とまったく同じように、人類が創造した偉大な文化のひとつなのである。「焼き鳥」と「磔刑図」の一方を貶めるのではなく、この2つの間にはどんなヒエラルキーもなく、両者の偉大さを同時に讃えるということをこの授業では行っていくと。

 長めに引用をする。


 この講義全体が「様々な文化に《共通するもの》を引き出す」ことを目指している理由は、まさに、様々な地域の様々な文化に属するとされる人々が、それでもなお、何らかの《共通するもの》あるいは《共有できるもの》を見い出して「共に生きていく」ため、共に新たな世界を創造していくためなのです。「磔刑図」と「焼き鳥」に話を戻せば、「磔刑図」と「焼き鳥」という一見まったく異なる文化のあいだにあっても、何らかの《共有できるもの》、すなわち、それを共通の原動力として新たな世界を共に創造していけるような《共通な》何かがあるのではないか、みなさんにそうしたことを考えてみて欲しいからです。


 〇〇と〇〇は同じと言うとき、僕はこっそり新たな世界を創造していけないかという賭けをしている。しかし意地でも共通するものを見出したくない、〇〇と〇〇は同じということを認めようとしない人たちを前に、一体どうしたらいいんでしょう。

 
 
 

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