『ドライブ・マイ・カー』断絶を知ることについて
- Sota Takahashi
- 2021年9月27日
- 読了時間: 6分
終戦日近く、あるテレビ番組を見た。戦争体験者の言葉を、元アナウンサーで若い朗読の上手な方が、戦争体験者になり代わり、読んでいる映像である。その方は感情を込めた話ぶりで戦争体験者の言葉を上手に読み、会場にいる小学生達に聞かせていた。僕は真剣に読んでいたその人には大変申し訳ないけれど、戦争とはこういうものでは絶対にないんだろうなと思った。そして戦争体験を”語ること”とは絶対に、あのようなものではないと思った。誰かの体験を自身の体験かのように語ることは、あのようなものではない。そう強く、強く、思った。
「そういうお前も戦争を体験したことが無いのだからわからないじゃないか、戦争は本当はその人が語るようなものだったかもしれないじゃないか」と言われるかもしれない。もっともな意見だと思う。幸い僕にも戦争体験は無いので本当のところは僕もわからない。しかしその朗読者から発せられる言葉には、どこか嘘っぽさがずっと漂っていた。本当らしく読もう読もうとしていく程に、嘘っぽさが更に増されていた。この人は嘘をついている、そのことを僕ははっきりと感じた。そう書くとこの朗読者はすごく悪い人のように聞こえるけれど、多分この人は全くの逆で、すごく良い人なのだと思う。我が事のように読むことで戦争の悲惨さを伝えようとしている。しかしその結果多分この人は『泣いた赤鬼』や『桃太郎』と同じように読んでいるのだろうという気がした。この人にとって、戦争体験は昔話と同じような距離感に置かれているフィクションなんだと感じた。そしてそれを聞いている僕は、昔話として語られる寓話が実話だと信じられないように、この人から語られる戦争体験も信じられないなと感じたのだ。
(こう書いても僕は「けど本当の戦争とはそういうものだったんじゃないか」という問いに明確に答えを出せていない。上に書いたことはあくまでも「僕はこう思った」という感想の域を出ない。ただきっとこのような質問をくれる人は、そもそも僕の違和感を、実感としてまだ人生の中で体験したことがないのだと思う。その実感を、僕は今文章で伝えられません。ごめんなさい)
ではどうすれば良かったんだろうか、戦争体験をどう語ればよかったのだろうか。戦争体験を語ることは、可能なのだろうか。ありもしない記憶をどのように語ることができるだろうか。
映画を演出するということは、カメラの前に人を立たせるということは、この問いに答え続けることではないだろうか。私ではない誰かになることと、他者の言葉を発することは似ている。そして濱口竜介監督の、イタリア式本読みの採択に至る経緯には、きっとこの疑問をどこかで通過している。そう思うのは誰かの記憶を、別の誰かが、我が事のように語ることの危険性に濱口監督はかなり自覚的だからだ。
「そもそも演じることと『ごっこ遊び』を隔てるものは実はほとんどない」(『カメラの前で演じること』より)という言葉は、上手に戦争体験を語ろうとするあまり、昔話の朗読のようになっていたあの朗読者を思い起こさせる。あの朗読者に、家福悠介が言うセリフを伝えたい。
「You don’t have to read it better.(上手に読む必要はない)」
「Just read the text.(ただテキストを読めばいい)」
この家福の言葉からは、彼は『ワーニャ伯父さん』に出てくる人物と、演じる俳優自身を容易に重ねようとはしない姿勢がうかがえる。彼は、まず私と演じる役は違うのだ、ここには絶対に間があるのだという断絶された関係を作る。電話帳を読むように語られるテキストは、私の言葉ではない。濱口映画は、そのことを起点に演技上の最難関課題「彼女は私ではない。かつ、彼女は私でしかない」(『カメラの前で演じること』より)状態へといたろうとする。
私とあなたは違う。断絶されている。この地点に立たずして、私ではない人の言葉が私から発せられる行為に正しさを見出すことはできない。
『ドライブ・マイ・カー』には『ワーニャ伯父さん』公演に向けた演技指導で目指される「彼女は私ではない。かつ、彼女は私でしかない」状態とは全く逆の、もう1つの流れが並走している。それは家福悠介と家福音の関係についてである。あるいは、悠介と悠介の中で繰り返し想起される音という存在との関係について。この映画は、演劇公演に向けて運動する西島秀俊と、彼が演じる家福悠介の弔いの話でもあるのだ。
弔うことは、映画の中で出てくる葬式や年忌の儀式をすることで済まされる問題ではない。
小泉義之は「誰かが死ぬ、私は生きている。誰かが死ぬことと、私が生きていることのあいだには、何の関係もない。誰かの死と私の生は、徹底的に断絶している。誰かの死と私の生の断絶を、さらには、誰かの死と誰かの生の断絶を、思い知ることが弔うということである。」(『弔いの哲学』より)と書いている。
音の突然の死以降唐突に2年の月日が流れる。そして2年後もまだ悠介は音の声を聞いている。彼の身体は音の声のリズムとぴったりと一致し、悠介が彼女の声の空白に科白を吹き込むとちょうど良いタイミングで次の科白が読まれる。それはさながら彼と音は一心同体であり、そんな彼女との対話を通じて音が彼の心の中で復活しているようだ。
しかし、悠介が生きていることと、音が死んだことは何の関係もない。
そこに断絶が生まれるのは、いや、そこにあった断絶を悠介が認識するようになったのが、北海道の上十二滝村である。ここでの独白によって悠介は度々自らの口で永遠に別れてしまった音と、自分とが徹底的に断絶していたのだということを思い知る。音は間違っても自分自身の中で生きている存在ではなく、もう永遠に会えないのだということを深く後悔する。
この独白は『ジャン・ルノワールの演技指導』の最後でジゼル・ブロンベルジェが独白をするシーンを意識していただろうか。僕は意識していたに違いないと思っている。2つのシーンは似ている。構図も、演技の質も。ここに監督はきっと「彼女は私ではない。かつ、彼女は私でしかない」状態を賭けたのだろう。

「彼女は私ではない。かつ、彼女は私でしかない」状態とは、断絶があるのにないように思える、奇跡のような瞬間である。そして同時にこのシーンで、説話的には悠介が音との間にある絶対的な断絶を知る機会を作っている。この両極に向かう力の末に、人は嘘とも本当ともつかぬ、正しさを目撃する。
音の死後、彼女は身体の無い声のみの存在となった。悠介はカセットテープから流れる音の言葉とそのリズムを肉体化していた。彼は北海道でのこの断絶の後、音がいなくなった空白を埋めることはしない。パク・ユリム演じる聾唖のイ・ユナはこの音とは対照的に声のみ持たぬ存在である。そしてこの彼女が、音がカセットテープで録音していた箇所を韓国手話によって語る。このとき観客は語られる悠介と、彼の弔いの身振りをもまた見ているのだ。
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