「露天風呂だるまさんが転んだ」はあれに似ている
- Sota Takahashi
- 2024年10月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年10月8日
先日放送された内Pの「露天風呂だるまさんが転んだ」という企画が炎上している。僕は基本的に「裸っておもしろい」という価値観を全く持ち合わせていないもので、全裸の人を見ていてもちっともおもしろさを感じない。それに誰かが恥ずかしいことをして(させて)それを笑うという構造が大嫌いだ。全くもってイジメと同じ構造である。僕がもしお笑い芸人志望であの企画を見たらドン引きしてしまうだろう。というかドン引きしているから今無事にお笑い芸人にはなっていないのだ。正直今回の炎上も、ようやく燃えてくれたかという感じである。
ただ、ただね、わからんでもない部分もある。というのが今回このブログを書いている理由だ。僕は全面的に否定したいわけではない。
もし僕が男友達と銭湯に行って「ちょっとここでだるまさんが転んだしたらおもしろそうじゃね?」となって盛り上がる感覚はなんだかすごくわかる。そういうノリが生まれることもわかるし、それがおもしろいと思う感覚もわかる。本当はしないことをするおもしろさがそこにある。僕個人としては裸でそんなこと絶対にしたくないけど、そういう雰囲気になることもあろう。それが男のノリだし、そんなホモソーシャルなノリがとっても楽しかったこともある。中学生が親に黙って夜、火を使った遊びをしてみちゃう、みたいな。そういうしちゃいけないことをするおもしろさがある。
さてそんな莫迦なノリでだるまさんが転んだをして楽しんでいるときに、ゆうてこちとら内輪の仲間同士で莫迦やっていただけなのに、モノホンの莫迦がやってくる。一人が「これさ、めっちゃおもしろいからカメラで撮らね?」と言いだしたとする。それに輪をかけて莫迦なやつが「ここに女の子いたらもっとおもしろくね?」と言いだしたとする。こいつらだ。こいつらが元凶だ。こういうやつらとは絶交したくなるレベルで感覚が合わない。
仲間同士で楽しくやってたからいいものの、それを莫迦が崩す。途端に一気につまらなくなる。仲間同士はお互いに裸だから、お互いが対等な関係でいられる。それがこの「露天風呂だるまさんが転んだ」のおもしろさを根底から支えている。なのにそこに決して眺めるだけで参加をしない、安全圏からの視線を導入しようとする。途端にこのゲームは一気に残酷ショーに成り下がる。そのことをわかっていないのか、今もこんな企画が続いている。
何かに似ているなと思った。一頃大変な社会問題になったバイトテロだ。内輪ノリで仲間がふざけているのをなぜかカメラで撮影して、さらになぜかネットにあげてしまった。バイトテロの場合は、その行為自体が非常に迷惑だということもあるので一概に一緒だと言うつもりはないけれど、似ている。もちろん犯罪行為だから行為をすること自体がだめだが、一連のバイトテロの報道を見ながら「莫迦だなぁ、なんでネットにあげちゃったんだろう?」と思ったのは僕だけじゃないでしょう?
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