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昼食小話

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2024年4月16日
  • 読了時間: 1分

腹が減って三宮あたりで安い飯屋を探していた。ウロウロ歩いていると「カツ丼 500円〜」と書かれている店を見つけた。500円ならいいじゃないかと思って入店し、メニューを見ると、500円なのは「ミニ丼」というものらしく、並盛りにしようとしたら値段が上がるという。僕はこういう商売の仕方が嫌いだ。てっきり並盛りが500円かと思うじゃないか。百歩譲って「小盛り」が500円か。なんだ「ミニ丼」とは。並盛りなら「大体これくらいかな」という加減を予想できるものの、「ミニ丼」ではおおよそのサイズもわからない。そんなことができるなら「フォアグラ 500円〜」と書いて、500円で食べられるのはチョビっとということもできる。無性に腹が立って、ムキになり、ミニ丼を食べることにした。出てきたのは半チャーハンより更に少ないくらいの米の量。まったく腹立たしい。せっかく昼食用と思って入ったのに、またお腹が空いてしまうじゃないか。そんなことを思いながら食べると、もともと少食だということもあり、意外と空腹は満たされた。むしろ食べ過ぎなくて良かったと思えるちょうどいい具合だ。二度と来るものかと思いつつ出て、数日後の今、あれくらいの昼食がちょうど食べたくなっている。おしまい。

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