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変な人?

  • 執筆者の写真: Sota Takahashi
    Sota Takahashi
  • 2023年6月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年9月3日

 僕の監督作『上飯田の話』は、出演者からも見た方からの感想からも「変な人」が出ている映画だといわれる。本当だろうか。僕は割と本気で「変な人」なんてこの映画に一人たりとて出てきていないと思っている。しかし「変な人」と人が言うときに比較される「普通の人」とは一体誰だろう。それは誰しもが特徴ある人物であることを考慮した上でなんとなく平均的だと思える人物、のように思われがちなのだけど、実はそうではない気がしている。誰しもが特徴的であるのだが、その人たち全員に共通するものを持っている人物ではないか。平均的な人物ではなく、最大公約数的な人物。そしてもちろんそんな人は実在しない。よく見ていけば誰しもがどこか歪な形をした人間なはずで、その歪さが自分の思う普通とズレているはずだ。ということは、ある人物をできるだけ今生きているままに描こうとすればどこか必ず「変な人」になってしまう。


 僕はいわゆる「普通の人」だった。大学卒業後五年間、サラリーマンをしていた。「ビジネスショート」と呼ばれるような髪型をし、朝の通勤ラッシュにまきこまれ、八時間以上働き、給料をもらっていた。酒を飲み、愚痴を言って、ゲラゲラ笑っていた。ブルーハーツの真島昌利さんが歌ったような「満員電車の中くたびれた顔をして夕刊フジを読む」人だった。そのときに思ったのは、働いている人たちは決して普通の人たちではないということだった。仕事柄色々な会社で働く人を見てきたけれど、どこにも普通の人なんていなかった。サラリーマンは俯いて町を歩いていなかった。


 ときおり「変わり者」になりたいような人がいる。派手な服を着たり、人と違うことを言ってみたり、自分の生き方はこれだ!と表現する人。そんなことしなくても既に変な人であるのに。


 だから僕は自分の映画を作るときに普通の人を描こうとするのをやめた。映画で誰しもが納得できるような普通の人を描くのは、感情移入しやすいようにするための工夫だろう。けど実際そんな人を見たことがなかった。見たことがなかったので信じられなかった。そのかわり、見たことがある人を描こう。感情移入はしにくいかもしれないけれど、信じられる人を出そう。そんなことを考えて実際の会話を録音して文字起こししたものを科白として書いた。「こんな人います?」という質問には「だって見たんですよ」と言った。いたんだからしょうがない。その結果「変な人」が出てくるらしい映画ができた。はたして変なのは世界なんじゃないか。


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